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ソードマンの独白(さいご) 今までで最も印象に残った国はどこですか?

 長いあいだ、誰一人として踏破することかなわなかった世界樹の上層区域を、はじめて征服した英雄。それが今のおれたちの肩書だ。エトリアの勲章をまるでがらくたでも見るような目で見られた日から、あっという間だったような気もするし、ひどく遠くへ来たような気もする。
 上主を名乗る存在を撃破したとき、街全体がお祭り騒ぎ包まれた。酒樽はねこそぎカラになり、とっときの肉はかたっぱしから皿にのってゆげをたてる。合間に、ごちそう()がたりないと、当の英雄ギルド()のメンバーが世界樹に入ったのはご愛敬といったところだろう。
 続いたのは一週間くらいだっただろうか。少しずつ、昼間の酔っぱらいの数や、二日酔いの衛士の数が減っていき、宿屋の女将主導での街の清掃大会が有終の美を飾った。今も残る名残と言えば、おれたちが酒場に行くと、ビヤ樽みたいな店主が、一杯だけただ酒をふるまってくれることくらいだ。
 この区画を踏破したならば、押しも押されもせぬ名誉が手に入り、あとは隠居するか、別の稼ぎ口を求めて街を出るだけになるだろう。最奥部の扉の位置を地図に書き入れながら、おれたちは漠然とそう考えていた。だが、実際のところ、世の中はそう甘くはなかった。
 ここまで一緒にやってきた仲間たちを失ったからか? いや、そういうわけではない。棺桶の中でフタが閉められるのを待つばかりだったおれたち全員は、薬泉院大ボスのプロフェッショナルの技で叩き起こされた。横一列に並んで彼の長い説教を聞く時間をあわせても、治療期間は街をあげてのどんちゃんさわぎに間に合うくらいですんだし、後遺症だって何一つ残っていない。
 樹海の上に鎮座する金属の迷宮の上があること。そしてそこは、さらなる力で封じられていること。理由はそれだった。
 さぁどうする。世界樹最大の遺物は手に入れたぞ、上主も倒した。どうする、引退か?
 満場一致で方針は決まった。更なる高み。更なる謎。更なる遺物の気配。挑むべきものはやまほどあるのだ。解散する理由なんてどこにもない。
 息を飲むほどに美しく穏やかな場所だった。街の気候とは違い、穏やかに暖かかった。そして、どこか狂った気配に満ちていた。どこがどうとはわからなかったのだけど、過ごしやすい気候ときれいな景色なのに、ひどく落ち着かない場所だった。
 そんなところに、おれたちの戦いはこれからだ! なんてうそぶいて突撃したメンバーは、数日後、薬泉院大ボスの前で自主的に横一列で座った。そこはそう、今までの――上主が鎮座していた金属の迷宮すら、児戯のごとき場所であったと思えるほどに、厳しい世界だったのだ。
 探索は遅々として進まない。危険地帯のしるしはつけられたものの、その先へと進む手掛かりは何一つとしてない。おれたちは、互いの技についての話合いを重ねた。一生懸命滝に打たれるだけで勝てる相手じゃあない、と。皆の意見は一致した。
 上主を撃破したメンバーだけでなく、本当にギルドに所属する全員が己の手の内をさらしあった。容赦のない弱点の指摘と、得意分野の確認。互いの技を披露しあい、時には実戦さながらに剣を交える。二人の呼吸が三人分にも四人分にもなる方法はないか。どうにかして、あの強力な攻撃を弱めることができないか。そして、肝心の場所にたどりつくまで、いかにして強力な魔物を避ければ良いか。人によっては、酒場のみならず、公宮との間にあるつてすら利用して、達人と呼ばれる人の教えをこいに出かけた。こんなにも自分の力というものについて考え、方向を定めたのは初めてだった。上主との戦いの前ですら、ここまで徹底した話合いはしなかったものだ。それでもなお、状況は膠着したままで、進展を見せる気配はどこにもなかった。


 その日、世界樹へと出かけたのは、おれとガンナー、ペット、カースメーカーとレンジャーという組み合わせだった。レンジャーが本気なら季節が変化するくらい樹海の中にいられるだろうけれど、今回はそれが目的ではない。むしろ彼には、足音を立てて移動するよう頼みさえした。
 となれば、メディックもドクトルマグスもいないこの組み合わせでは、いきおい探索の時間は短くなり、未だ日も高いうちに宿へと戻ることとなる。
 アルケミストの火力に頼る戦法では、樹海最奥クラスの魔物に対して後一歩と言うところで歯が立たなくなる。それを補う手段はないか。瞬発力には劣るとも、持続力で彼を中心とした組み合わせを上回ることはできないか。それを研究するための樹海入りだった。
 そこそこの結果は確認できた。完璧とは言えないけれど、多少のてがかりをつかむことはできたと思う。それをメディックに伝えたところ、彼は満足そうにうなずいた。もっとも、彼はこういった探索の後、ありがとうお疲れさまよくやった以外()の言葉を口にしたことはないのだけれど。
 もともと夕食前に検討会を開けるくらいの時間に帰って来るつもりだったが、それよりもさらに早かったらしい。樹に入らなかったメンバーたちは、ほとんどが宿にはいなかった。すぐに帰って来るというには時間があいているということで、いったん、おれたちは散ることにした。あるものは一番風呂を狙って出かけ、あるものは借りている部屋へとひっこんだ。おれはというと、走り足りないらしいペットにつきあって宿を出た。
 第一階層ならば、特に危険もないはずだ。だが。最近、とても低い階層で空間がねじれ、衛士が帰れなくなったという例もある。たった二人で樹にはいるは避けるべきだった。
 街のまわりか、それとも少し街道を行ってみるか。とりあえずは、街の門まで出るつもりで宿を出たところ、何に気づいたのか、ペットはくるりと向きを変えた。
 街道どころか、通りとも逆方向へ向かうしなやかな姿に、なんだどうしたと呼びかける。一度だけ彼はおれの方を見た後、すたすたと宿の裏へと向かう。ついてこいなのか、こなくていいなのか。いささか迷いながら、おれはペットの後を追おうとした。だが。おれはペットとは違い、宿屋の横のうえこみをくぐりぬけていくわけにはいかない。一度中に入り、勝手口へと抜けた。
 裏庭は、午後の柔らかな日差しの中にあった。宿の洗濯物は、働き者の女将にとうに取り込まれた後らしい。数枚のタオルと服が揺れているのは、どうやらうちのギルドの誰かの持ち物のように見えた。
 洗濯紐を結び付けた大きな木の下、彼は眠っているように見えた。だが、よく見れば、どうやらそうではないらしいことがわかる。彼のてのひらはペットの首のあたりに乗っていたし、ペットの方も遠慮なく鼻先で彼をつついている。近づこうかどうしようかと迷っている足の下、ぱきりと乾いた小枝が音をたてた。
 気配に気づいていなかったということはないのだろうけれど。彼はゆっくりと目をあけた。
 おれを見ているのかいないのか。多分見てないんじゃないかと思う。まぶしげに目が細められ、口の端がほんの少しあがる。ペットの背に乗っていたてのひらに力がこもった。
 たくましい狼の身体を支えにして、彼は立ちあがった。それから一度かがんで、彼の身体から地面に落ちた紙――多分手紙だろう、を拾いあげる。
「時間か?」
 短い問いに、おれは首を横にふった。皆が出かけられる程度には時間があるというと、彼はとくに感慨のない様子で頷いた。
 がりがりとペットの背をかきまわしてから、彼はおれに近づいて――いや、宿の勝手口へと近づいてきた。どうしようかと思ったが、とりあえずおれは宿へは入らず、わきへとどくことにした。
 どことなくふわふわとした足取りで彼は近づいてくる。そして、なぜかおれの前で足を止めた。少し低い位置から、深い色の瞳が見上げてきた。立ちどまり、おれを見るばかりで、彼は何も言おうとしない。
 おれは、勝手口から数歩離れた位置にいる。おれが邪魔で中に入れないというのはありえないだろう。なにかやらかしただろうかと反射的に思いはするものの、些少な心当たりしかない。なによりも、彼の表情にはおなじみの冷笑や怒りが見当たらなかった。――それ以外もあまりないのだけど。
 彼は目を伏せた。長いまつげが白い顔に薄く影を落としているように見える。何かあるのかと問いかけようとしたところ、ふわりと空気が動いた気がした。
「……」
 問いは言葉になる前に消えた。再度彼はおれを見ている。まっすぐに見上げてきているが、目を合わせている感じじゃあない。なんだか、おれをすかしてむこうがわ()を見ているみたいだった。
 何がしたいんだろう。何を言いたいんだろう。いったいどういうつもりなんだ。
 頭の中を渦巻く疑問が、おれから動作と言葉を奪う。無言で見つめあう二人。片方のてのひらは頬へ。これがそっと添えられているというのなら、通りすがりの誰かは、お熱いところにお邪魔した申し訳ないと立ち去るべきだろう。だが、今のおれたちをギルドの誰かが見たならば、多分そう()は言わず、おれと同じように言葉を失うのではないかと思われた。
 アルケミストはとてもまじめな顔で、おれのほっぺたをひっぱっていた。とりあえず、痛くはない。あまり。いや、多少は。だが、飛び上がるほどではない。ただ、不安感がいやました。
 幾度かひっぱって満足したのだろうか。不意に、アルケミストの口元が歪んだ――いや、顔全体に、見たこともないほどに柔らかな笑みが浮かんだ。
「思った通り、良く伸びる」
 ただ、そうとだけ言って、彼は指先からおれの頬を解放した。ぽかんと口を半びらきにしたままのおれのまえを抜け、彼は宿へと入っていった。
 裏庭に残されたタオルをそよ風が揺らす。おれは、幾度かまばたきをしてから、近くに来ていたペットを見下ろした。舌を口からはみ出させおれを見上げる彼の顔は、なんだか笑っているようにも見える。
 何だったんだと思うかと問いかけても、彼がはっきりとした答えを返すはずもない。


 その後、皆がそろって話合いを始めようとしたところ、メディックがアルケミストを指名した。
 いつもの不愛想な表情のまま、彼は自分がここを出て帰還すべき時がきたことを告げた。両の手の機構(からくり)を後進に譲り、自分は研究と指導の側にまわらなくてはいけない。彼が裏庭で見ていた手紙は、そう彼に要請するものだったらしい。そう書かれている手紙を今日受け取った、と。そう皆に示して見せた紙束には、みおぼえがあった。
 今まで世話になったありがとうの言葉(あいさつ)は、さっきの彼に比べれば意外性がないような気がした。
 いきなりとか、せめて最奥を極めるまでとか、皆が口にする。だが、アルケミストは話は終わったとばかりに、口を閉ざし、目を伏せている。翻意、いいわけ、謝罪、もしくは怒り。いかなる用途としても、彼は再度口を開こうとはしなかった。

fin.