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ソードマンの独白6 人生カマドウマ

 例によって例のごとくという言葉に、何かしらのいい意味を感じることはない。悪い意味の繰り返し、学習がない、間が抜けている。多くの場合において、こういった意味がこめられているものだ。
 そう、まさに。例によって例のごとく。おれは、針のむしろを素足で歩くこころもちで、樹海を進んでいた。
 ああ、あれは確か、世界樹に来て間もないころだった。穏やかに晴れた空。気温はあくまでここちよく、風はふきだしかけた汗を優しくぬぐい去る。こんな日は、魔物たちもひなたぼっこにいそしんでいるのだろうか。そんなことを考えるほどに、探索が調子よくすすんでいた日のことだった。鼻歌の一つも飛び出しそうだったおれにとって、その茂みの中にいた小動物は、ほんとうに可愛らしく見えた。柔らかな毛に覆われた小さな手足や、真っ黒で大きな目、こくびをかしげるしぐさは、とてもとても愛らしく、無害に見えた。きっと、他の仲間たちにしたところで、そう違った感想は抱いていなかったと思う。おれがほんの少しだけ、他の誰かより手を出すのが早かっただけ。そうに違いない。そう、どんぐりを両手に、おれを見上げていた小動物が、何かを思いついたみたいに腕をかけあがり、荷物にとびこむまでは、おれはこのうえもなく幸せな時間をすごしていた。樹海には相応しくないほどに。今ならわかる。きっとあの心地よい風も、魔物の少なさも、何もかもが罠だった。きっと、悪意に満ちた樹海の企みだったにちがいない。
 アリアドネの糸をとられた重罪人と言うことで、おれはその後しばらく、ギルド内でパシリの地位が確定した。人間並みになれるまで、それはそれは苦労の連続だった。大蜘蛛の巣を吹き飛ばすとか、まぁ色々。
 それがなんとかなって数日後。同じようにおれは小動物に手を出して、首根っこをひっつかんだアルケミストの努力もむなしく同じように糸をとられて、同じように針のむしろを歩いていた。
「さては皆さんおそろいで。何か困ったことはありませんかー?」
 今ならお安くしておきますよと、声や動作からにやにや笑いをにじませた衛士が話しかけてきたのはその時だった。全身をフルプレートアーマーで包んでいるため、表情どころか顔かたちもわからない。結構な樹海の奥地にいるにもかかわらず、どことなく頼りない印象があった。今ならお安く、今ならお安く、と。そう歌うようにくりかえしながら、衛士は荷物の中から何やら白いものを取り出す。おれたちの目は、それにすいよせられた。それこそはアリアドネの糸。おれたちが今最も欲しているものの一つだ。
「おひとつ千enになります」
 これ、と。震える手で指さしたおれが口を開くと同時、衛士はそう言った。
「いやぁ、樹海にはたちの悪いのが多いですからねぇ。ホント物騒で」
 命のお値段としては、お安いでしょう。ほら、どうされますか? と。もとの値段の十倍のそれに、おれは抗議の声をあげようとした。だがほんの一瞬早く、衛士はそう口にする。先ほどまでの夜の街で客引きでもしてそうな気配に、抜き身の刃物めいたあやしい気配が絡んだ。さあ、どうします? まぁ、自分はしばらくはここにいますけれどねぇ、大変じゃあないですか? と。こちらの事情を知り尽くしたかのような様子で、衛士はたっぷりと糸を見せびらかした後、荷物入れにしまいこむ。
 こくり、と。おれは息を飲んだ。背後で、仲間たちが顔をうかがいあっている気配がある。実のところ、千enを出せと言う兵士の要求に応えることはできた。応えた場合、この前から交易所に並びだした防具を手に入れるのが少しばかり遅くなる。正直なところ、このあたりの魔物の爪の鋭さは相当なもので、おれやパラディンですら、ほんの少し油断しただけで致命傷を負いかねない。だからこそ一刻も早く防具を購入したい。だからこそ衛士が言うところの命あってのものだねだ。
 とりあえず、これはおれひとりが決められることでないのだけは確かだ。適価ならば、皆におわびのいっぱいをおごるような調子でおれが出すべきだろうけれど。共同の資金からというならば、相談なしにはいはいと頷くわけにはいかない。背後で響く小さな金属音、囁き。落ち着いたメディックの声に、低いパラディンの声。さあこの場合。いやそれにしたって。そんなやりとりに絡む、ぶんという虫の羽音めいた奇妙な音。
 その音に気づいた瞬間、おれは斧を抜いた。そして一挙動で向きを変え、踏み込む。バランスを崩すことを期待して至近距離まで踏み込み、勢いのままに軽く肩をつき、そのまま刃をのどにつきつける!
 目を見開き、ほんの少し身をそらすアルケミスト。その喉元に刃を突き付けるおれ。周りを囲む仲間たち。そして、少し離れた場所にいる衛士。
「――おやおや仲間われですかぁ?」
 瞬間の攻防の後、静けさを取り戻した樹海の中に、衛士の茶化すような声が響いた。
 まだ斧は引かない。アルケミストは、唱えかけていた呪文の詠唱を中止していた。だが、彼の両手に装備されたからくりは未だ淡く紋章を浮き上がらせている。あきらめていない証拠だ。おれはさらに重心を彼の側に寄せた。白い喉が動くのが、やけにはっきりと見えた。
「いやぁ、よくわかんないですけどね。ほら、こういう物騒なことがあるからこそのこれですよ!」
 お安くします、と。馬鹿みたいに口上をのべ続ける衛士は、今現在、自分の命がどれほど危険な状態にあるかわかっているのだろうか。
 ぶん、と。収まりかけた虫の羽音が再度勢いを取り戻す。アルケミストの唇がゆっくりと動いた。古代語の呪文ではない。ただ唇が動いただけだ。今、声を出せば中断した詠唱がなしになるらしい。だから声には出さずに、ただ静かに、どけ、と。そう、おれに語りかけていた。おれは、ぎりと奥歯をかみしめ、小さく首を横にふり彼をにらむ。
 もちろん、おれはこのまま彼の細首をへし折る勢いで斧をふるうことができる。彼もまた、詠唱を再開し大いなる破壊の力を解放することができるだろう。多分、そう、ほんの一言か二言ですむはずだ。だが、それはお互いに――いや、少なくともおれにはできない。だからこその、均衡状態ができあがっていた。
「そのくらいにしていただけませんか?」
 メディックの声だった。穏やかなその声は、彼が柔らかな笑みを浮かべているであろうことを容易に想像させる。
「一つ千en、お安いものでしょう冒険者さん」
「おしゃべりな口を閉じてさっさと行けと言っているのですよ」
 それはまるで、氷の刃を思わせた。普段の穏やかな彼からは想像もできないような声だった。
「おやぁ? ……いいんですかそんなことを言って。このあたりは危険ですよ?」
「あなたの小動物が何をどこで集めてこようと、私たちには関係ありません。ここは世界樹の中。そう、まさに、あなたが言う通りほんの少しの間違いがあっけなく命のろうそくを吹き消してしまう場所です。おわかりですね?」
 かしゃり、と。小さな金属音が響いた。おれの角度では、アルケミスト以外が何をしているかはわからない。ただ、この音はガンナーが彼の獲物を構えた音だろうということだけがわかった。
「な、まさかアンタたちは、この、このおれをやってこれを奪おうと言うのか?」
 さすがの衛士の声にも、動揺の気配がにじむ。だが、まだ彼は立ち去ろうとはしていなかった。もしかすると、立ち去れないのかもしれなかった。
「ここは世界樹の中、と。そう言ったのはあなたではありませんか」
「公宮でこのことを言ったらどうなるだろうな」
「そのおしゃべりな口を閉じて去ればいいのですよ。私たちはあなたを追わない。私たちはなにもしない。ただし」
 そこで、メディックは一度言葉を切った。もう一つ、今度は金属がぶつかり合う音がした。残るは、パラディンだ。彼が重い剣を抜いたのだろう。
「おれをやってもな! つげぐちする手段はあるんだ! ちゃあんとあんたらが犯人だとな!」
「あなたのペットがもう一度私たちの前に姿をあらわしたならば、あなたはともかくペットの命はない」
「何の証拠が!」
「そう、小動物のペットを飼っている人間というのは多くはない。衛士ならばさらにその数は少なく、冒険者であったとしてもさらにその確率は減るだけ」
 衛士は言葉を失った。ただ、恐怖と敵意の気配だけが背後で揺れる。可愛いペットを大切に、と。メディックが最後まで口にする必要はなかった。チンピラの決まり文句と葉ずれの音を残して衛士の気配は消えた。
 アルケミストの肩から力が抜けるのがわかる。同時に、熾きの輝きを宿していたからくりが静まった。
 おれは斧を引こうとした。だが、その前にアルケミストが動いた。白い首筋にすっと朱色がにじむ。ああ、まずい、と。そう思うとほぼ同時、同じ色の唇が歪んだ。今度は、声がついていた。
「次はない」
 視界が揺れて、おれは自分がつきとばされていたことに気づいた。あ、と。なさけない声をあげながらも倒れることだけは回避し、よたよたと斧をしまう。こちらを一瞥たりともすることなく、くるりと向きを変えたアルケミストは、おれから遠ざかった。ガンナーが布を差し出し、首ににじむ血について言及している。布を受け取り顔をゆがめるさまは、まったくもっていつもの彼だった。後で洗ってかえすとかそういった日常のやりとりが聞こえてきた。
「さて」
 ぱんとてのひらを打ち、メディックが皆の注意を引いた。先ほどまでの冷たい気配はどこにもない。まずは、再度地図を検討しましょう、と。そう言って彼はおれに対して頷く。おれはあわてて荷物の中から、指示されたものを取り出した。穏やかに礼を言い、彼は地図を開く。そして、皆に腰を下すよう促した。
「すこしばかりいつもより奥地に来ていますが、幸いなことに今日はあまり魔物とまみえていません」
 未だ日も高く、皆もさして疲れてはいないだろう。だから、気楽にとは言えないけれど、いつも以上に怖がることはない、と。彼はそう言って、皆を見回した。小春日よりの穏やかさと、暖かな草原の安心感。いつも通りの彼の声は、おれたちの身体から余計な緊張や恐怖と言うものを溶かし出してくれる。
 しなやかな指が、通るべきルートをさししめす。ガンナーが、空白地帯をさして、抜け道の可能性を示唆した。パラディンが腕を組んで、眉を寄せる。アルケミストは興味なさげな様子であたりを見回していた。
 やがて、階層をぬけるためのルートと、その後のおおまかな動きが決まる。メディックが地図を丸め、おれにさしだした。行きましょう、と。まるでピクニックにでもでかけるみたいな調子で、メディックが立ち上がった。おれもそれに習い立ち上がると、装備を確認する。
 さて糸のない帰路の始まりだ、と。足を踏み出す前に、メディックがおれの肩をたたく。短いほめ言葉に、思わずひざが砕けた。
 何だどうしたと手を差し出してくれるパラディンに曖昧な返事を返しながら、おれは今までずっとメディックの声でも拭いきれないある種の感情を抱えていたことに気づいていた。アルケミストが言った「次」とは何の次だろうか。糸をとられることか、それとも彼に刃を向けることか、傷つけることか。鮮やかな炎のような怒り、からくりの作動音、今にも正確な韻律をつむぎだしそうな朱色の唇。おれはあれと対峙していたのか。おれはあれと。じわり、と。名状しがたき感情が全身で存在を強調しはじめる。おくればせながら、身体が震え出した。
 樹海には、今のおれたちより強い魔物はいくらだっているだろう。樹海でなくとも、統括クラスの衛士と対峙し、必ず勝利できる自信もない。だが、これから先、どんな存在と対峙したとて、あの全身が細い糸で縛られるみたいな緊張感を感じることはないんじゃないかと思った。それほどの強い感情に対し、身体はとても正直だった。それだけのことだ。情けなく震える膝を強く打ち、おれは樹海を行くには危険すぎる感情を意識の底へと追いやった。


 無事に街にたどり着いて数日後。アルケミストは、皆に回帰の術式を覚えたと告げた。フンと鼻を鳴らし、冷たくにらむその目つきに、おれは自分の地位が家畜から便所のすみでぴょんぴょんはねてる足の長い虫にまで落ち込んだことを、はっきりと意識する。
 彼からの扱いが人間並みになることは、金輪際ないんじゃないかという悪い予感がした。