どうしてこうなったの乱舞が、思い出したようにやってくる。なんていうかこう、ものすごいやっちゃった感と、なんでああなっちゃったのかなーという思わず遠い目をしてしまう感。それと、ええともう一回なんていう、期待というか恐怖というかそういうやつ。うん。……その、やっちゃいけないことをやった、失敗した感じはものすごくあるんだけど、ぶっちゃけいろんな意味で気持ちよかったし。ええと、自分でするのと他人にされるってゆーのって、違うもんだなーとか。それだけじゃなくて。なんていうかこう、他人を馬鹿にしたような表情と、この世の中には楽しいことなんて何一つないって感じの仏頂面と、便所のすみっこで飛び跳ねてる虫でも見るみたいな冷たい目以外の表情(かお)なんてできたんだなーとか。むしろ、誰コレって感じの優しい笑みなんか向けられたおかげで、ごめんなさいもうしませんレベルでいたたまれなくなったり、嫌味でもなく突き放すでもない低い声で囁かれ、どうしていいかわからなくて固まったり。子供扱いされてるっぽいのはちょっと気になるけど、そもそもこんなこと子供にはしないよなと思ってみたりとか。
思い出してうわあと枕に顔をうずめたくなるも、おれはしがない大部屋暮らし。ぎゅっと拳を握って、頭から布団をかぶるくらいしかできることはない。あとはああ、思い出しついでに、その気になりかける下半身を、カボチャを思い浮かべてなだめてみたりとか。今までなら、あらぬときになんとかなんてのに対しては、アルケミストに怒られるのを思い出すのも、かなり効果的だったんだけどなー。原因が原因なだけに、効くはずもないよなー。むしろ、今度やらかしたときに、余計怒らせそうな悪寒。
カボチャからはじまって、無駄にでっかいカマキリだの、ピンク色のお花だのを順番に思い浮かべつつ寝に入る。そんなイヤな習慣が出来てしまったおかげで、また今日も連中が夢の中でにこにこしてた。……夢の中で眠いってあり? うう、とにかく絶対にものすごく健康に悪い。
そんな気になるなら、もっかいやっちゃえばいーじゃん。別に、拝みに拝み倒して気が乗らないところを無理にして()もらったとかそういうわけじゃないんだし。むしろ、興が乗ったとかそんなことまで言われてたりするわけだし。
なんだけど。なんだけど、どうも実行には至らない。至ってない。
至らない理由を一言にまとめると、ようするにあの人はおれのことが好きでそういうことをしたんだろうか、そうじゃないんならなかったことにすべきじゃないかとか、そういう感じになる。
断られるのが怖いとか、嫌われたらどうしようとか、そういうのとはちょっとちがう。なんていうのかな。こういうのって、一応は好きあってるどうしがするんじゃないかとかそーゆー、ううんいいのかな? みたいな、そっちのが近い。てのひらで抜かれて、他、いろいろとじゃれあうみたいに可愛がられて撫でられて。そんで普段の仏頂面とはちょっと違った顔を見て。あれ、この人おれのことどう思ってるんだろうかとか。嫌われてないといいなとか。なんか色々気になって、結局どうにもやりようがなくて日々悶々とする羽目になっている。
嫌いな相手をわざわざにこやかに可愛がるなんてのは、あんまりないと思う。けど、相手が相手だ。何を考えているのか分からないというならば、メディックやダークハンターだって相当なもの。ただ、何かをしたあとで行動の理由が分からないというのにおいては、多分、アルケミストのが上だろう。せめて、見苦しいところを見てほくそえんでいるとか、そういうのでないっていうことくらいは確信したい。
そんな卑屈というかなんというか、どうしようもないことを考えるのには、多少の理由がある。その、そういうことをしてる間中、彼はおれから触れることを許そうとはしなかった。粗忽者だから寿命が縮むのが理由とは言ってたけど。
ぶっちゃけ、他人のモノを触って興奮するかというと、しない。野郎の裸がいちいち気になるようじゃ、そもそも風呂にもいけないだろう? だから、すっごい触りたかったかとか、間近でじっくりいろいろ見たかったかというと、そういうわけじゃない。とはいえ。いかせて、そのさまを眺めて、撫でて、そうして――自分はおれに触れさせることもなく、いくこともなく、キス一つするわけでなく、むしろ避けるそぶりすらみせていた。
なんか、おかしい。んじゃないかと。
いつもと別人みたいに穏やかな笑顔とか、器用なゆびさきが丁寧に触れるのとか。すごい気持ちよかった分、なんだかすごくひっかかる。もう一回、と、すごく思うんだけど、それと同じくらいそのなんだかイヤな感じも大きくなっている。だって普段、おれと彼はいわゆる世間話やなんかってものもほとんどしない。何かやらかした時にものすごい勢いの罵詈雑言をあびせられるとか、それくらいだ。いろいろ危ない場面や、懐がさみしい局面を乗り越えてきた仲間だから、酒場での顔見知りとかそういう相手とはちょっと違ってるのは確かなんだけど。少なくともおれにとっては。
……結局なんだったんだろう。
ぐるぐるうだうだとそんなことを考えながらいたせいか、危うく風呂ではのぼせるところだった。ていうか半分くらいのぼせたよーな気がする。まぁそんな感じでぼーっとしながら、宿の廊下を歩いていたところ、襟首をとらえられた。
うわと小さく声をあげ、おれは足を止めた。聞こえなかったのか、と。怪訝そうに犯人――アルケミストがおれの顔をのぞきこんでくる。え、あ、と。不器用に口を開閉させていたところ、彼は面白そうに口元をゆがめた。そして。ありえないくらいに近い距離――耳に直接吐息を吹き込む近さで口を開こうとする。
彼の言葉が終わるか終わらないうちに、おれは耳をかばって廊下の壁にはりついた。一拍遅れて、顔が熱くなるのがわかる。
はげしくふりはらわれたのが予想外だったんだろう。アルケミストは驚いたような表情でおれを見た。そして、いぶかしげにほんの少し距離を詰める。おれは思わず遠ざかった。
「――とって食うつもりはあるが、無理強いするつもりはない」
イヤなのか? と。そう言われて、おれは反射的に首を横にふった。ならば、と。差し伸べられたてのひらに対しても首を横にふり、おれはうつむいたまま少しでもと彼から遠ざかろうと、壁に背をおしつけた。
「どっちなんだ? 一体」
大きなためいきとともに、彼がそう言った。どういえばいいのか、いや、そもそもどうしたいのかすらわからなかった。言葉一つ浮かばない真っ白な頭をもてあましながら、おれはただ口を開きかけ、閉じる。
まぁいい、と。苦笑とともに彼はそう言った。そして、手を伸ばしかけたが、何やら考えた様子でおろしてしまう。視界の隅でその動きを見、おれは顔をあげた。
「その気になったら声をかけろ。起きてたら付き合ってやってもいい」
じゃあなと踵を返そうとする姿に、おれはあわてて手を伸ばした。
つかんだ腕が予想以上に細くて、鼓動がひとつ飛んだ。ええと、ええとと言葉につまるおれに、不思議そうにアルケミストは首をかしげる。そして、ああと声をあげた。
「やりたいことでもあるのか?」
あんまり無茶なことでなければつきあってやってもいいとの慈悲深い言葉に、おれはさらに顔を赤くした。いや、やりたいこと、って。
「とは言っても、おれもあまり体力のある方じゃあない。お手柔らかに頼む。……っと、そういうことなら部屋で聞いた方がいいだろう」
腕をつかむ手に、てのひらが重ねられた。促すように軽く叩かれ、おれは思わずさらに力をこめてしまう。多分痛かったんだろう。アルケミストはほんの少し顔をしかめた。
「――おい」
「っ、あの……」
低い声に、おれはあわてて口を開いた。そして。
「キスしたい」
「はい?」
いかにも予想外といったような、聞きようによっては馬鹿にしているようにも聞こえる声に、おれはうつむいた。だけど、黙らなかった。
「だ、って、アンタ、その……だって、て、手で抜くだけとか、だったら、そのヘンだし、それに……」
切れ切れに、なんかヤダってことを口にする。言ってる自分にしてからが何言ってるかわかんないような、情けないさまだった。アルケミストはすぐに顔をしかめ、わかったわかったとなだめるように口にする。そして、しかしなぁ、と、ためいきをつく。そんなに無茶じゃないと思いたいんだけど、なんだか自分がものすごく馬鹿なことを口走ったような気がして、おれは身体を固くした。
「経験は、あるのか?」
しばらくの後、不意にアルケミストがそう言った。おれは顔をあげた。五歳くらいのころに、おさななじみの女の子ととか、家族のあいさつとか言うのはノーカウントだからな、と。丁寧に条件をつけ、彼は再度どうなんだと尋ねた。
「な、んでそれが関係あるんだよ」
ああやっぱりな、と。そうつぶやいた後、ううんと彼は何か考えているようなそぶりを見せた。そういうのはなぁ、と。何やらつぶやき、おれの顔を見る。なんだか、聞き分けのない子供をみてるみたいな表情に見えた。
「……ダメならいい」
そう言って、おれは彼の腕をつかんでいる手をはなした。そんなにヘンなことを言ったつもりはないけど、どうやら困らせることだったらしい。
だけど、やがて彼は、まぁいいかと呟いた。そして、いつもみたいに、おれを呼ぶ。
顔をあげた。彼は手を伸ばした。そして、宿の壁にはりついたままのおれに向かって、一歩大きく進み出る。彼とおれでは、彼の方がちょっとだけ背が高い。あごに金属の感触があったかと思うと、ひょいと軽く持ち上げられた。目を細め口元を歪めた表情に、鼓動がひとつ飛んだ。伏せたまつげが案外長いななんてことを考える間もなく、視界がぼやけた。距離が近すぎて、焦点があわない。薄い皮膚の接触に、反応してぴくりと指先が動いた。金縛りにでもあったみたいに動けない時間がすぎていく。長かったのか短かったのかなんてわからなかった。気がついたら、彼の手は頭に乗っていた。
「これで満足か?」
くしゃりと髪を握られる感触と一緒に、そう聞かれた。とても穏やかな表情は、別に初めてってわけじゃない。けど、なんだかやたらどきどきした。真っ白な頭のまま、ただ頷く。そうかと言う彼の言葉とともに、するりと金属の感触が滑る。
「だからアンタそこはとってじゃない!」
ぐいと襟首をひっぱられ、おれは反射的にそう叫んだ。それに頓着せず、彼はただ行くぞとおれを引っぱる。って、だから部屋ん中じゃないんだからそういうのはやめろっつーの!
きき手で彼の反対の手首をつかみながら、反対の手で襟首をつかんでる手を外させようとする。わりとあっさりアルケミストはおれの意図をくんでくれた。つかまれた手首の手をひねり、おれの手を外させる。そのまま、指を絡めた。表情を伺うと、口の端があがっていた。
「さて、今度は何をしてみるか」
……。この時飛んだ鼓動は、さっきのとは違った。うん、いやな予感とかそういうのだと思う。
この悪い予感って言うのは、部屋の扉を閉めるなり扉に背を押し付けられて口中を舐めまわされたところで確信に変わった。へたりこんだおれに差し伸べられた手を取ったのは、やっぱり間違ってたんだろうか。とりあえず、世界征服の笑みは、悪い予感とわかちがたく結びついていた。楽しそうなのは嬉しいんだけど。
fin.