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ソードマンの独白 -1

 どもりながら、それは必要なのかと口に出したのは、多分頭の中を乱舞する「どうしてこうなった」のせいだろう。すると、彼はいつも通り目を細め、おれを見下した。みくだす、だ。みおろされるほどの身長差はない。……はずだ。家畜どころか、便所のすみっこでぴょんぴょんはねている虫をみるような目に、何故にこんなことをしているのかという深遠な疑問にとらわれる。
 どうしてこうなった。なんでこうなった。酒か。薬か。女神(イフニ)の悪戯か。それとも。
 彼は、口の端をきゅっと引き上げた。
「そっちのほうが好みならそれでいい」
 慈悲深いお言葉に、おれは退路を断たれた絶望を感じた。いやいやいやいや、何故絶望何故退路。そんなもんもともとなかったし、探してもなかったってば。今の状況は、無理強いしたものでもされたものでもない。まぁちょっとこう、売り言葉に買い言葉というか、固くしまってるはずのネジをぐっとまわしたらすこんと抜けたみたいな、そんな流れではあったけど。思い直すというなら、ここに至るまでいくらでも時間も機会もあったわけだし。
 でもやっぱり疑問は増える一方だ。なぁ、なんでおれはこんなにコワい思いをしなきゃいけないんだ? リスに糸をとられたわけでもないし、彼が術を解放しようとしたのを邪魔してるわけでもないんだぞ。なんかこう、今あるべきコワいの質が違うよーな気がするんだけど。


 おじゃましますとばかりに、ぴんとはったシーツの上に腰をおろした。ここに来たころは、皆で大部屋の住人だったものだ。けど、世界樹の探索が進み、懐に多少の余裕ができるや否や、彼は一人部屋に引っ越してしまった。まぁ、アルケミストという職業がら彼の取り分は多めだし、彼の裁量の範囲でやることだから、文句を言う事柄でもない。実際、彼はギルドのだれよりも取り扱い注意の貴重品をもっているし、特殊な作業も必要だ。らしい。だから、必要なのは確かだ。なのだろう。少なくとも、そうしてくれればおれが蹴られなくてすむ。とはいえ、余裕ができたとはいっても当時はまだまだ貧乏ギルド。引っ越した後、三日とおかずして、彼の部屋がギルドの物置になったのはきっと必然だ。
 まぁ、そんなわけで。おれが彼の寝床なんてものを目にするのは、とてもひさしぶりだった。もっとも、彼の短い大部屋生活時代だって、じっくりながめたことなんてのはなかったのだけれど。ただ、いつみてもとてもきれいに整えられていたような印象はあった。変わってないなとなんとなくそんなことを考えた。
 そうやってぼんやりしているおれの目の前で、彼は篭手(ガントレット)をはずしていた。ていうか、世界樹の中でもないのに、なんでそんなもんつけるんだ? いまさらながらに、そんな疑問を抱く。同じギルドでそれなりに生活をともにしつつ世界樹を目指しながらも、そういえばおれは彼が篭手(ガントレット)を外しているところを見たことがなかった。気がする。
 だが。彼が手慣れた様子でぱちぱちと留め金を外し、そっと篭手(ガントレット)から腕を抜くやいなや、その疑問は氷解した。ような気がした。
 あ、と。ついもらしたおれの声に、彼は首をかしげ、これのことかとてのひらを見せてくる。ほんの少しの逡巡のあと、おれは正直に頷いた。そして、痛くないのかと尋ねた。
「今はな」
 そういって彼は、自らのてのひらをしげしげと見つめた。
 彼のてのひらのどまんなかには金属が埋まっていた。ピアスとかそういう可愛いものじゃない。てのひらのまんなかに大穴があいていて、金属が見えているのだ。とてもきれいに磨かれてはいたが、少し腐食のあとがある。深さとか、内部でどうなっているのかはわからない。よく見れば、腕にも痛々しく金属が見えていた。そういえば、彼は触媒がどうのと、篭手(ガントレット)に何か粉末やオイルを詰めていたことがなかったか。あああれは、篭手(ガントレット)にそうしているのではなかったのか。もしかして、てのひらに見えているそれと、腕のそれはつながっていたりするのか。どうやって埋め込んだんだろう。取り出すことはできるのか。そして彼のそれは、彼独特のものなのか、それともアルケミストといえばそうなのか。
 知らなかった事実とあふれだす疑問にくらくらするおれの前で、彼は面白くもなさそうにフンと鼻を鳴らすと、反対側の篭手も外してしまった。そちらも同様の黒く光る金属がみえる。あ、両手なんだ。
 彼はてのひらを伸ばしてきた。そして。
「気になるか」
 それはどこか独り言みたいに響いた。頬に体温とは異質な冷たさが触れ、おれは思わずびくりと身体を震わせる。彼の口元がゆがんだ。頬から顎、耳の後ろとくすぐったい感触を残して移動し、そのまま襟首を掴まれた。ぐいと引き倒され――まぁもちろん、そうされないようにするのは簡単なのだけど、ふんばるのもおかしな話だし――冷たいシーツに転がった。肩の上に、馴染みのないごつごつした感触を感じ、思わず目をそちらに向けてしまう。
「安心しろ。いきなり凍りつくようなことはない」
 笑いを含んだ声が、思いのほか近くて、おれは思わず間抜けな声をあげた。ていうか、それってつまり、いきなりでなければありうるとか? 言ってない? え、ない、ないよね?
「うわ」
 いきなり急所のごく近くに何かが触れた感触に、おれはさっきよりもはっきりと焦った声をあげた。うそ、待て、いや待たなくていいのか、ちょっと待て、いやそうじゃなくて!
「い、いきなりそれは」
 肩口をおしかえそうとしてくるてのひらを、彼は不思議そうにながめた。そしてその後、そのままの表情でおれの顔をみる。
「他のところも触って欲しいのか?」
 だったら、脱がないわけにはいかないな、と。面白そうに笑いながらすばやい! 待て、ちょっと待てって! そうじゃなくて、いやそうじゃなくてさ!
 あっさりとまくりあげられたシャツの下、ヘソの辺りを指先で撫でられ、くすぐったさに身をひねる。その後触れた唇に、うわとかなり素で大きな声をあげた。
「こっちは、さすがに脱がしてもかまわないんだろうな」
 だからその、めちゃめちゃくすぐったいから! ズボンと身体の間に指先入れるのやめて。いやだから、うわ、だから、ない。それはない! ていうか少しくらい遠慮とか迷うとか手を止めるとかないのかよ! いや、ないか……。うん、彼(アルケミスト)だもんな。いやせめて、中にぶちまけたい趣味だったらとかそういうみもふたもない言い方は遠慮してくださいもう少し。……無理か。つーかさ、あれだけ古代語だ地方の言葉だのの知識があるんだから、おれよかよっぽどもののいいかたってのを知ってるはずじゃあないのか? おかしいよなー。
 なんとなく諦観の域に達したところで、おれは自分がものすごく間抜けな格好に剥かれてることを知った。あの、お願いします。頼むから膝まで下ろしたところで止めるのやめてくださらないでしょーか。いや、あのね。用があるトコは外に出てるじゃなくてね。だから、用のあるトコとかいうなあああああ!
「さっきからうるさい」
「うああ」
「またそれか」
「んなとこ触られたんだから声くらい出るだろ!」
「……もういい、黙れ。動くな」
 身体を起こし、不機嫌な声で彼はそう言った。いつもほどの厳しさのない表情は、怒っているというよりは呆れているんだろうか。
 それともやめるか? の問いに、おれは思わずハイ申しわけありませんと頭を下げかけた。そうしなかったのは……なんでだろうなー。そんなふうに聞きながらも、彼が襟元をゆるめていたからか。なんだ、やめる気ないんじゃん。だったらいうだけ無駄だな。この部屋に入る前に、ケツまくって全速力で逃げるべきだったんだ。あー、うん。今度パラディンに逃走のコツとかそういうの聞いてみるかなー。つか、普段あれだけ遅いのに、逃走だけはって詐欺だよなー。
「何をしている」
「え?」
 いや、なにもしてない。きょとんと目を見開くおれに対し、目を細めると、ゆっくりとかんでふくめるような口調でアルケミストは語りかけた。
「おれにされると、くすぐったいだなんだで暴れるんだろうが。間抜けな格好がいやだというなら、自分でどうにかしろ」
 どうにか? どうにか……。ええと。ああそうか。そうそう、別に一から十まで彼にお願いしなくてもいいんだって、あたりまえだけど。おれは、自分の下半身を見下ろして動きを止めた。こくりと喉が動くのがわかった。なんだか、夢の中で二つに分かれてる道にあったみたいだった。ここは一発、そそくさとズボンをひっぱりあげてごめんなさいと言って出ていくというのはどうだろうか。うん、さっき慈悲深く聞かれたしね。
 衣ずれの音が聞こえた。着痩せするという言い方はよくあるが、彼の場合はどちらかというとその逆だ。ストイックに喉元まで覆う上着を脱ぐと、実は予想以上に貧弱――もとい、細いのがわかる。もっともそれは、どちらかというと態度のでかさが彼を堂々たる偉丈夫に見せているんであって、けして上着の生地の厚さや何かのせいではないのかもしれない。
 ……。なんとなく、音をさせないようそろそろと下を脱ぐ。すると、見計らってたみたいなタイミングで襟首をひっぱられた。彼は興味深げな表情で、これはこれで便利だなと言った。いやそこ、取っ手じゃないから。つか、アンタおれがそんなことしたら、マジ切れするだろ……。
 なんというかこう、自分で脱いだせいなのかどうなんだか、さっきよりは自暴自棄――もとい、肝がすわったみたいで、おれはなんとなく視線を泳がせているだけで、わりとおとなしく彼にされるがままになっていた。もしかすると、覆い被さられているわけじゃあなくて、彼の顔が横にあるからというのはあるのかもしれない。
 何か口にしなきゃいけない気がして、あれこれと考える。だけど、思いつくことはどれもこれもが陳腐だったり嘘くさかったりで、気ばかりがせいた。
「悪かったな」
 そうこうしているうちに聞こえてきた言葉に対し、おれは耳を疑った。彼の謝罪の言葉なんてのは、想像したこともない。それをこんなところで聞けるとは。
 ゆびさきが、首筋に触れた。さらに再度の謝罪。明日はきっと槍が降るから、世界樹には行かない方がいいだろう。二度目の謝罪はもしかすると、てのひらの金属が首に触れることに対してだろうか。ひきよせられながら、そう考えた。
「あまり固くなるな」
 固くするのは一カ所でいいとかこのオッサン何を言うかな。まぁ、そういう下ネタ的な言い回しはともかく、続く言葉はひどく優しかった。好きにすればいい、と。余計なことは考えず、ただ心地いい方に手を伸ばせばいいのだと。そんな穏やかな言葉とともに、おれは自らのものに他人のゆびさきが触れたのを感じた。うひゃあと間抜けな声をあげかけるのをかろうじて抑えた。うん、やっぱり明日は雷の中槍が降る。
 ひきよせられ、薄い胸板に頬をおしつけると、穏やかな鼓動を感じた。くそ、ぜんぜん動揺してないのかよ、さっきからこっちは脈が飛んだり跳ねたりで大いそがしだっていうのに。
 てのひらの大きさやなにかが、そんなに大きく違うとも思えない。だけど、自分のと他人のとでは感触は大違いだった。まぁ、触り方はぜんぜん違うんだけど。ひたすらに器用な指先が、全体のかたちをたどるみたいにして動きまわる。もどかしく、むずがゆいような刺激に、逃げ出したい気持ちがものすごく強くなる。にもかかわらず、自分で触れたときと同じように――というかぶっちゃけ以上に、おれのものはあっさりと形を変えはじめた。
 このいたたまれなさをどうにかできないものだろうか。どうにかしたい。どうにか。とはいっても、何一つアイディアなんかなくて、おれは今まさにどうこうされているトコをちらりと見た。……やめとけばよかった。彼のゆびさきに先走りがからみついているのがわかる。白い指と、局部の色の対比。根元から先まで、とてもなめらかにうごきまわるさま。ていうか明るくないですかここ!
 いたたまれなさが倍化するとほぼ同時、ぐんと自らのものが勢いを増すのがわかった。どうしろと! なぁ、こういうもんなのかよどうしろと! そんな動揺が伝わったのかどうか、頭の上の方で、微かな笑いの気配を感じた。うう。
 今度は目線を上にする。見下ろしてくる顔と目があった。満足げに細められた目と、きれいな弧を描く口元。こくりと、のどが鳴った。ええと。ええと、こんな状況なんだから、そうそう、別に悪いことじゃないよな。そうしようという自分と、そうすることを試みて失敗したならというびくつきとに怪しげないいわけをしながら、おれはそろそろと彼の顔に自らの顔を近づけた。
 ――って、あれ? あとほんの薄皮一枚程度の距離で唇が触れ合おうとしたとき、すいと彼は顔をあげた。そして、おれのものに絡み付いていない方のてのひらで、おれの頭を自らの肩口に押し付ける。
「――っ!」
 ええと、違うんだけどの気持ちで少し身じろぎしたとほぼ同時、細い指先が、先端につきたてられる。鮮烈な痛みに、身体が震える。面白そうな反省の色のない謝罪に、涙目になりつつ間近の顔を睨む。って、見えてないかコレじゃ。頬に当たる細い肩が微かに震えてるのは確実に笑ってるんだろう。クソ、悪趣味。
 悪かったという誠意のかけらもない言葉にあわせるように、リズミカルに指先が先端を撫でる。なえないのは、彼の技術なのか、それとも。ていうか、その、さっきに比べてこの人、力抜いてませんか。……もしかしてこれは遊ばれてるとかそういうやつ?
「……っ」
 ぎゅっと目をつぶって身じろぎすると、頭を撫でられた。つぅか、ほんっと、ひたすら、いろいろされてるだけだよな。それってやっぱよくないんじゃないか? なんかこう、どうも彼はそれで十分満足みたいなんだけど。……商売でお相手してもらってるわけじゃないんだし。
 そんなことを考えながら、そろそろとおれは彼に手をのばした。ものすごく正直なことを言えば、ええと、他人のものを掴んだ瞬間なえるんじゃないかという恐れはある。……いや、そのときはソレが自分のだとでも思えばいいのか? さすがに無理があるか。
 だが、その心配(ごちゃごちゃ)は杞憂に終わった。彼の足の付け根に触れるか触れないうちに、すぱんとおれのてのひらは弾かれてしまったためだ。顔をあげたおれをまっすぐに見ながら、彼は言った。
「オマエは雑だからなにもするな」
 ……。……。……くっ……! みもふたもない言葉を理解するまで、しばらくの間が必要だった。これはきっと、彼にいじられてる最中だからじゃない! いくら多少の心当たりがあるとはいっても、絶対に、あまりにあんまりなセリフだからだ!
 睨んだ先には、いつもの通りの見下しきった表情がある。ああくそ、こっちのが落ち着くとか一瞬でも思ってしまうとか、なんの病気だよ。
 んで。一応は裏通りのチンピラくらいなら問題なく相手できる程度に迫力のご面相で睨んだはずなんだけどなー。なんでまた、抱き寄せられているんだ。おとなしくしてるけど、おとなしくしてるから、アンタの言うことが通ってるんだぞー。引き倒したり、抱き寄せたり、そんなのおれが手加減しなかったら、絶対できないんだからなー。わかってんのかよ、わかってないだろ。ちょっとはわかれよ。
「ん……」
 彼が聞いたら鼻先で笑いそうなことをごちゃごちゃ考えているうちに、彼の手の動きが変わった。よりリズミカルに、ほんの少し強く、親指と人差し指、中指で作られた環が、たちあがっているものに沿って上下する。明らかに、さっきまでと違った何かを促す動きだった。うう、そんなにおれに触られたくないと。どういうことだよ、何の趣味だよ、わかんないっての。
 さっきの拒否があったせいで、おれは彼のものどころか、背中にも腕を回すことができなかった。両の腕を後ろに回し、ただぴんとはったシーツにつめをたてようとだけしている。なんだか、ほんとに用のある場所だけをつきだしてなぶらせてるみたいなひどい格好だ。どうにかしよう、どうにかしたい、どうにかならないかと、そんな言葉ばかりが頭の中を回るも、事態は切迫するばかりで何一つ解決をみようとはしない。多分、時間切れが唯一のそれだろう。ひたすらな混乱の中、よしよしとかなめたことを口にしてる彼の誘導に従い、再度彼の肩口に顔を埋める。ちょっと落ち着いた。え?
 妙な声が出そうになって、あわててめのまえのものに歯をたてた。びくりと動いたことはわかったけど、振り払われることはなかった。あ、こっちはいいのかと妙な理解のままに、歯の力をゆるめ、吸う。抱き寄せるてのひらが少し戸惑うみたいに動く。
「ん……」
 ぎゅっと顔を肩口に押し付けられた。そして、促されるままに、おれは他人の手でいかされていた。


 微妙なやっちゃった感と、脱力感に戸惑いながら、おれはただぼんやりと彼が身体を起こすのをーーって、まて、それはない! ない!
 身を起こした彼が、よりによっててのひらを口元に近づけ、舌を伸ばしたのを見るやいなや、おれは眠りに落ちそうな身体をむりやりたたき起こした。そして、手近にあった何かで、あわてて彼の手のひらを拭う……って、これおれの服……ああっ。
 驚いたような表情(かお)をしていた彼は、世にも情けない表情になったおれを見て笑い出した。……こーなりゃ多少の差異とかどーでもいいかと思いつつ、おれはなさけない思いで、彼の手について自分のをちまちまとふきとる。って、あ……。
「……これって、もしかして、中に入ったりするとまずい?」
 黒く光る金属に、どろりとした粘液がついているのに気づき、おれはおそるおそるそう口にした。まぁ、まずかったらとうに蹴られているような気がするし、そもそもそれがこうあれになるよう彼が明らかな原因なわけでおれはわるくないたぶん。そんな思いを知ってか知らずか、彼は肩をすくめた。
「もしも誤動作をおこしたとしたらオマエのが原因だな」
 あっそ。大丈夫なわけね。機嫌のよさそうな表情(かお)に、おれは自分の心配が完全に杞憂だったことを知る。ついで彼は、そもそもまさにその場所に焔や何かが現出するのだから、誤差にもならないと親切につけくわえてきた。あ、なんかホントに機嫌がいいっぽい。
 とかなんとか。そう思った瞬間、ぐるりと視界がまわった。え?
「もう少し、頑張ってみるか」
 ……はい?
 にこにこと満面の笑みで彼はおれを見下ろしている。こんどは、みおろす、で。え?
「入れるぞ」
 なにを? どこに? どうやって? だれが? なんのために?
 ひたすらな疑問符に答えてくれる親切な人間(あいて)はいない。そうそう、彼は基本的に説明はない人間だ。するとしてもいろいろあったあと、さらにはしつこいくらいに問いただしてからだ。
「入れさせてやるんでもいい。ただし、どっちでもオマエは動くな。なるべく喋るな」
「はいぃ? な、なんで」
 ナニを。相変わらずの傲慢なものいいに、かろうじて少しだけ態勢をたてなおしたおれの問いに、彼は当然といった口調で答えた。
「興がのった」
 さっきの様子をみる限り、まだまだ平気だろうとか。おれを叩き切れるようなヤツなんだから、この程度で力尽きるはずがないよなとか。角を曲がったらカボチャがずらりと並んでいた、みたいな。おれがそう感じたのを知っているのかいないのか。そう言って、彼はほんとうに楽しそうに笑う。どっちにするんだという再度の問いに、おれは答えられない。ええと、これってそうそう、むつかしいことばですえぜんていうんだっけ。おかしい。それって、うれしいものだと心の棚には分類されてるんだけど。さっきからのほんの短い時間に、ひっくりかえされた常識(ゆめときぼう)は、どれだけあったっけ。
 じりじりと。ただじりじりと。背中にいやな汗をかきながら、おれはとてもきれいな笑顔を見あげていた。……あ。さっきの跡ついてる。謝ったほーがいいのかなー。

fin.