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パラディンの独白2

 蜂が飛んでいた。
 別にそのこと自体は驚くべきことではないし、危険でもない。世界樹のなかで見かけたのも初めてではない。人を見るや特攻をかけてくる危険極まりない種類でもない。目の前にあるような巣を求めて山に入るのは――もちろん、網のついた帽子や長袖の服なんかでガードはするものの、けして冒険者の技ではない。
 そこまで考えたところで、おれははたと気づいた。ほぼ同時に、ガンナーも同じことを思ったらしい。おれたちはほぼ同時に動いた。
 このギルドには、アリアドネの糸の入手方法を聞き流したり、リスに糸をとられたり、酒場のオヤジに首根っこひっつかまれて内容も確認せずに仕事をさせられたり、他にも落としたり忘れたり壊したり落ちたり転んだりと、粗忽な行いを幾度も繰り返す人間がいるのだ!
「わ! いきなり何すんだコラ!」
 不意をつかれたのだろう。じたばたと暴れるソードマンを押さえつけながら、おれはほっと息をついた。手荒な扱いに抗議の声をあげるソードマンをしっかりと押さえつけながら、おれは蜂にさされることと、巣に手を出すことの因果関係を説明しようと口を開きかけた。だが。
 目の前で、ガンナーが目を見開くのが見えた。背後でメディックがしまったと小さく声をあげる。ふらふらとアルケミストが前に進み出る。
 アルケミストは、少し背伸びをして蜂の巣に手を伸ばした。軽い音とともに、巣の一部が彼のてのひらに移る。端から、とろりと黄金色の蜜が垂れた。
 止める間などあるわけがない。おれとガンナーは、そういうことをするならばソードマンだろうと、心のそこから思い込んでいたのだ。
 彼は、世にも幸せそうな表情で、手首に垂れた花の恵みたる黄金に舌先を伸ばした。金縛りにでもあったみたいに、おれたちは普段の彼よりも幼く見えるしぐさに見入っていた。
 ぶんと虫の羽音みたいな雑音――もとい、虫の羽音そのものが響く。最初に呪縛を打ち破ったのはメディックだった。手荒にアルケミストのくびねっこをつかむと、逃げろと大声をあげる。
「あ」
 緩みつつあった腕を、下からはじかれ、おれもまたやっと我に返った。そして、自力で抜け出したソードマンの後を追う。
「マントを……つっ!」
 自らが持つそれをばさばさと振りながら、メディックが再度叫ぶ。指示されるまでもなく、おれもまた身体からひっぺがしたマントを振りながら逃走に入る。普段はなんてことのない鎧が、おそろしく重い。すきまから入り込んだ蜂にちくりとやられ、おれは悲鳴をあげた。
「飛び込め!」
 川がある、と。そう言って叫ぶガンナーの声に、おれは手を休め走る速度をあげる。ちらりと盾鎧について考えた。だが、ぶすりぶすりと肌につきささる針に、そんな戸惑いは追い払われる。
 先人がいない場所だけは確かめた。他のメンバーがすでに飛び込み終わっている川に、深さも知らず、おれは目を閉じて飛び込んだ。


 運がいいというべきか、悪いというべきか。川はさして深くはなかった。半ばねそべるようにして、身体を水に沈める。時々いきつぎに顔を出し、運が悪いと悲鳴をあげながら、おれたちは頭上の脅威が去るのを待った。
 ようやく、蜜蜂の大群が去ったところで、おれたちは身を起こした。
 さて、と。うんざりした表情でメディックが言った。さすがのアルケミストも、いつもの傲慢な表情はひっこめて、殊勝な表情でもごもごと何か言いたそうにしている。ガンナーが、わざとらしいほどに大きなため息をついた。
「……そういうことをするのは、ソードマンくらいだと思ってたんだがな」
 おれの言葉に、斜め向うのソードマンがひどいと抗議の声をあげる。
「だっておれ、甘いもの好きじゃないし」
 そういう問題じゃあない。口元をゆがめ、おれとガンナーは顔を見合わせる。今回はたまたま間違っていたようだが、次回も同様の行動に出る必要があるらしい。メディックが、ソードマンにアリアドネの糸を出すよう指示をした。
「今日はここまででしょう」
 そりゃそうだ。うう、と、小さくアルケミストがうなる。
「……すまない」
 アルケミストはうつむいたままぼそぼそと謝罪を口にした。その言葉に、メディックは穏やかに微笑む。
「まずは街に帰りましょう」
 総てはそれからです、と。そう言って、メディックはソードマンから受け取った糸の封を切った。


 そうやって街に帰ったおれたちは、おまえら一体何やったんだというすっとんきょうな声に迎えられた。
 皆の表情が――とりわけ、アルケミストの表情が、歪む。仕入れの帰りなのかなんなのか、街外れにいた酒場のオヤジがおれたちを発見したのだ。
 よりによってといった人選だった。ソードマンがいやあとマントを絞りながら、持ち前の口の軽さ――もとい、愛想の良さで、アルケミストが蜜蜂の巣に手を出したことをばらす。
 いつもならば、アルケミストのアでも口にした瞬間、ソードマンは鉄拳制裁を受けていたことだろう。今回の失態は自分が原因と言うことで、アルケミストの拳にはいくらかの容赦とでもいうべきものが存在した。がつんとした衝撃に慣れているソードマンは、アルケミストに撫でられながら事情を酒場のオヤジに伝えてしまった。
 ぎょろ目を大きく見開いて話を聞いていたオヤジは、ソードマンの話が終わるか終わらないうちに、豪快に笑い出す。そして、ばんばんとアルケミストの背を叩いた。いやあ、アンタ、そんな甘いもの好きなのか。うちもメニュー考えてやらなきゃなぁ、お得意さんのために、と。げらげらと笑いながら、オヤジはアルケミストの顔を覗きこんだ。
 土地の人間との摩擦は厳禁。この街に入る前、いつになく真剣な表情でメディックが言い渡したきまりだ。これだけは、けして違えてはならぬギルドの掟。静かに語られたその理由は、すべて肌身で知っていることがらだった。だからこそ、アルケミストも、頬をひきつらせながら、オヤジの言葉にどうもとかいえとかまぁとかはいとか答えていた。メディックが穏やかに助け船を出した時、露骨に表情が緩んだあたりは、いたし方ないというべきだろう。普段の彼を知るものから見れば上出来だ。
「申し訳ありません」
「おっと、こっちこそ悪かったな。風邪ひかねぇように、ちゃっちゃと乾かして、風呂でも入れや」
 ありがとうございますと言って、おれたちはオヤジと別れた。
 もちろん、その日の夜になる頃には、アルケミストがやらかしたことについて、尾ヒレ胸ヒレ背びれまでついたうわさが街中に広がっていた。その日から、連日連夜、街で通りを歩いたり、酒場に顔を出したりするだけで、アルケミストはとても温かい歓迎を受けた。気をつけなきゃとか、色男が台無しだとか、人は見かけによらないだとか。そういうのに出会うたび、アルケミストは、ひきつった笑顔でどうもをくりかえした。
 ずいぶんとひどい目にあっているようだし、色男にされた――宿の娘が感激のあまりにそこいらに響き渡る悲鳴をあげ、あやうく女将にホウキで袋だたきにされかけた恨みは忘れてやってもよかろう。そんな寛大な気持ちで、災難だなと彼の肩を叩いたところ、おそろしい形相でにらまれた。おれに対するリアクションは全略で、メディックに向かって走りよる。そして、はやく樹に入ろうと懇願しはじめた。
 ……訂正だ。恨み恨み骨髄に徹すというほどではないが、やはりダメだ。あれだけ普段偉そうにしているのだから、彼はもっと身を慎むべきだ。
 そんなふうに考えていたある日。宿の娘、薬泉院の助手、交易所の娘が立て続けに、頬を染め、彼に向かって菓子の包みを差し出しているのを見かけた。人生の不条理を感じるのは、普遍的な感覚と言っていいだろう。少なくとも、ソードマンはおれに賛同した。

fin.