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ジンクス

 あのおおさわぎと現在をたとえて言うのならば、祭りの後以外にふさわしい言葉はないだろう。
 ふきっさらしの屋上で、ほどよく冷えた金属(アロマパイプ)を持て余しながら、おれはそう考えていた。
 春と言うも名ばかりの風の寒さ。だが、春なのだと聞けば、昨日と変わらぬひどく冷たい風も、どこかしら優しく思える。
 ――なんて、暦とアナウンサーのに影響を受けるおめでたい人間の数はやたらと多い。双樹がつまらなそうに見ているファッション誌でも、パステルカラーが乱舞して、むきだしの腕と脚が健康美を競っている。いい気になってそんな格好で出歩けば、てきめんに風邪をひくに違いない。バードスキンのノースリーブなんて、見苦しい以外の何者でもないんだがな。
 『こーちゃん。ほかの誰が言っても、オマエだけは言うなよ、ソレ』
 うん?
 『オマエね。朝晩なら氷点下、昼間だって一ケタ気温の屋上でひなたぼっこって、どういう修験者よ』
 いい日差しじゃないか。まぁ、おまえには縁がないだろうけどな。日陰と日向、風の谷間を感じる繊細な神経ってのは。
 『むしろ俺よかオマエのが寒さに鈍感な、しろくまの神経だろ』
 おれは声をあげて笑った。
 そこにはいない存在(やつ)の声。わざとらしいためいきも、宙を仰ぐしぐさも、そして、口唇の端をゆがめた皮肉な笑顔も。あえかな日差しのぬくもりが傍らの体温に変換されるほど、そう、おれは――いかれていた。 
 のんびりと屋上で昼寝でもしながら待っているさ。だから――。
 ああ、おれは知らなかったんだ。のんびりするにも、ある種の才覚が必要だなんてことは、想像もしていなかった。今までいくらだってやれたことなのに。砂をかむようなとか、一秒が一時間にもとか、そんな形容が、皮膚感覚として理解できる。気がついたら夕方どころか、時計を見てもほんの一分も経っていない。
 そこにはいない人間の声で、鼓膜を刺激されて喜びを感じるほどの煉獄だった。
 まぶしすぎる日差しが、指の間を通して網膜につきささる。乾いた関東の風がのどにしみる。
 ああ。まだ、ほんとうにまっぴるまなんだ。
 二月もすぎれば、三年生は自由登校。寮こそ三月末あたりまで滞在できる。だが、卒業式がおわれば、それこそ大学受験の報告なんて理由くらいしか、卒業生が学校(こんなとこ)に来る理由はない。
 昼休みのチャイムで屋上にのぼった。ずいぶんと時間がたったはずなのに、まだ終わらないのか。
 おれは、のんびりと昼寝でもしていなくちゃいけない。日一日が、いつの間にか過ぎ去っていくみたいな、そんな日常が必要なのに。
 もっと、のんびりとしていなくちゃいけない。そうしていないからなんだきっと。だから、来ない。だからヤツは帰ってこない。
 なぜなら、そうやって待っていると言ったおれにヤツはうなずいたから――!
「――」
 ひどく冷えた空気に溶ける自らの吐息。ほんの一瞬、存在を主張する白い水蒸気。
 駄目だ。もっと、もっと泰然自若と。そうすれば、そうすればきっと。
「うあ、さっむー」
 今日は寒の戻りだそうだ。寒いも通りだろう。
「つうか、相変わらず修験者だね」
 うるさい。おれはここが好きなんだよ。
「シカトすんなよ」
 なんだと?
「ちょーっと遅れたのは悪かったけどさ」
 おれは目を見開いた。
「なぁ」
 金属(アロマパイプ)が打ちっぱなしのコンクリートに転がる音がした。
 おれは、声が聞こえた方へと振り返った。
 思わず後ずさろうとして、フェンスに阻まれる。
 ガクランの背に、ひどく冷えた金属の感触。
 目線の先で、図々しいまでに鮮やかな幻が、よぉと片手を挙げた。
「卒業しても制服って、ただの変態よ? それとももしかして――」
 ヤツは、屋上の扉をしめると、声をひそめ、あたりをうかがった。おれは、たわんだフェンスに打ち出されたみたいに、前に出る。
 記憶の通りにすっとぼけたヤツを、おれは抱きしめた。
 それは、幻のくせに温かくて、やけに確かな感触で、腕の中に収まった。

fin.