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アルケミストの独白2

 そこは道だった。そう言ってもいいだろう。人の行き来こそないものの、パラディンがななめにならずとも通り抜けるだけの幅があるし、平坦だ。明らかに、ただの藪とは様子が違う。
 とはいえ。今現在そこを使って行き来するというのは、よほどの物好きでも二の足を踏むだろう。
 思うがままに枝を伸ばす木々の枝は、灰色の糸(アクセサリー)で彩られていた。さらにはそれだけでは足りぬとばかりに、地面までもが、まるで雪でもつもったみたいに灰色をしている。大蜘蛛の仕業だった。人間さまをエサにするほど凶悪な種ではない――もっとも、半死半生だったり赤ん坊だったりすれば話は別――の、比較的おとなしい種類のようだ。
 巣の主の姿はない。ないように見える。
 だがもしも、すぐ近くで牙を研いでいたならば。いや。いなかったとしても。蜘蛛の巣の獲物を捕える力は強い。下手を打って手足を捕えられたならば。脅威となりうるのは、巣の主だけではない。樹海には、元気いっぱいの冒険者を頭からがりがりやるのがだいすきな存在(まもの)がやまほどいるのだ。
 ――焼くか?
 おれは、両の手に仕込んだ機構を見た。一度にはむりでも、できないことはないだろう。だが。問題はむしろ、巣だけを燃やすことができるかどうかであり、できないというのであれば――それは、樹海を行く最悪のタブーを犯すことになる。世界樹は巨大だ。世界樹の腕はとても頑丈だ。世界樹を切り倒すことができる存在など、いるはずもない。いるとすればそれは、むかしむかしで始まる話の住人だけだろう。同様に――世界樹を燃やしつくすことのできる存在もいない。
 だが。燃やしつくすことができないということと、燃やせないということはイコールではない。全体が燃えつきることなくとも、辺り一帯が火の海にならない保証はない。そんなことになれば、ただこの先が知りたいというだけの理由で、おれたちは自分たちの寿命を縮めることになる。運が悪ければ、それだけでなく、公宮の衛兵たちや冒険者たちに大いなる厄災をもたらした存在として、未来永劫名に唾を吐かれることとなるだろう。
 ならば、凍らせるか。凍った粘着質の糸の塊を蹴散らしながらであれば、少なくとも手足をとらわれて困り果てることはないだろう。
 おれの意思に応えて、両腕の機構に薄く紋章が浮き上がる。だが。
 おれは、目の前の巣を凍らせるという行為に踏み切ることができなかった。
 大きい、のだ。氷を操るのは、比較的得意な方とはいえ――普段のターゲットの何倍もの面積を、普段のターゲット以上にしっかりと凍らせなくてはいけない。
 気温は低くはない。立っているだけで滝のように汗が吹き出るというほどではないが、走り回れば汗ばむ程度には暖かい。
 可能か? そう、おれは自らに問いかける。身につけた機構が、かすかに音を立てた。
 おれは目を閉じる。そして、内部へと沈み始める。暗い。暗い底でほのかに光る魔力の塊を見る。できるか。それとも。
 瞬間、肩を叩かれておれは息が止まりそうになった。実際のところは、軽く注意を促したに過ぎないはずだ。だが、その時のおれにとっては、いきなり地面に叩きつけられたも同様だった。
 悲鳴を喉の奥に押し込め、跳ね上がる鼓動をなだめる。細く細く息を吐きながら、おれをおどかした相手を確かめる。
 肩から、革のグローブが離れた。持ち主は、未だ少年の面影を残した青年だ。頑丈な鎧、そして先端に薄く紋章が浮く斧。
 下がれの言葉を、おれは理解できなかった。再度――今度は、ガンナーに声をかけられ、おれはやっと頷くことができる。
 ソードマンはゆっくりとした足取りで、蜘蛛の巣へと向かっている。メディックやパラディンはすでに距離をとっていた。
 無表情なガンナーにの後につきしたがい、おれはソードマンから距離をとる。
 場所を定め、ソードマンを見た。皆が距離をとっていることを確認していたのだろう。巣に向かって姿勢を整えているところだった。
 肩幅に足を開く。こちらからでは表情は見えない。ただ、とても大きく、とても静かだった。普段ならば、彼は街角の先からでもわかるほどに騒がしい気配の持ち主だ。武器を奮う存在だけあって、身体は鍛えられているが、パラディンほどに偉丈夫の印象を与えるわけではない。だが今は。
 動いた。
 だらりと垂れていた斧が振り上げられる。足が地面をえぐる。さらには。
 裂迫の気合とともに、斧が降り下される。まるで別人の声だった。一歩。目で追うも難い。さらに続く。
 一劫か一瞬か。定かならぬ時間の経過があった。
 気がつくと、ソードマンは得意げに笑っていた。
 メディックの、お疲れさまでしたの声に、おれは知らず入っていた肩の力を抜く。
「これならば進めそうですね」
 パラディンが、すごいじゃないかとソードマンの肩を叩いている。いつも無表情なガンナーすらも、能力(ちから)を認める言葉を口にし、彼をねぎらっていた。
 少し照れたような表情で頭をかく姿は、すっかりいつものソードマンだ。何の拍子にか、おれと視線があった。だが、おれはすぐに少年の顔から獣道へと視線を移動させる。
 だんごになっている皆の横を抜け、改めてソードマンがしたことの成果を確かめる。
 すべてきれいになったとは言えなかった。だが、通るに十分な状態になっていた。
 粘着質の糸は、そこかしこに塊となって散っていた。大手を振って地面を歩くことはできないが、この程度ならば踏みつけて通ったとしても、なんら問題となることはないだろう。せいぜいがとこ、しりもちをついて痛い目にあう程度だ。
 おれは、獣道へと足を踏み出した。気づいたメディックに呼ばれる。だが、おれはそちらへは反応せずに、一歩二歩と歩を進める。
 斜め前の糸を蓄えた小枝ががさりと地面に落ちる。足を止めた。魔物の気配ではなかった。
 さらに進む。背後で、メディックが皆に先に進むようかけている声が聞こえる。誰かが走ってくる気配があった。がちゃがちゃと金属と革の音が来たかと思うと、おれを追い越して先に立つ。顔を覗きこんできたのは、ソードマンだった。続いて、パラディンに声をかけられ、おれは道を譲る。ぎゅっと拳を握った。
 大蜘蛛の巣となっていた領域が終わった。先にはまた大きく開けた広場がある。難所を抜けた皆の表情がとても明るくなった。立役者とも言えるやつの表情は、緩んだまんまで、さきほどのあれが同一人物とはとてもじゃないが思えない。ああ全く、ソードマンのくせに生意気だ。
 おれは、再度口々にソードマンの労をねぎらっている皆を促し、どこを探索するのかを検討させはじめた。

fin.
2008年4月28日 おんせんにっき