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アルケミストの独白1

 名物だかグルメだか知らないが、わざわざ樹の中の湧き水をくんでこいなんて酔狂な依頼をこなした後、おれたちは酒場の親父にもっと実入りがいい話はないのかと尋ねていた。
 交易所にほんの少しだけの獲物を担いで行ったソードマンを待っている間のひまつぶしだった。ヤツは、数日前の失態で、当分の間パシリをすることが決定している。
 自身もビア樽みたいな体型の親父は、ふむとヒゲを撫でた。
「おまえら、確か仲間にソードマンがいなかったか」
 おれたちは顔を見合わせた。
「公宮から一人連れてこいって話が来てるんだが」
 いないんじゃしょうがないな、と。おれたちをぐるり見回して、親父は言った。いや、もうすぐ来るが一体何だとメディックが尋ねる。
「何すんのかは先方で聞いてくれ。おれはソードマンを一人連れて来い、とりあえず樹に入り始めた程度でいいからくらいしか聞いてない」
 まぁ、その程度だ。報酬もたかが知れてるけどな、と。親父の言葉に、おれたちは再び顔を見合わせた。そこに、遅くなったと口にしながら、ソードマンが酒場の扉を開けた。
「おお、オマエだオマエ。ちょっと来い。今から公宮にいくぞ」
 親父の頭の中では、すでにヤツが対象の相手と決まったらしい。カウンターの向こうから出てきて、むんずと襟首を掴んでいる。状況のわからないソードマンは、目を丸くしながらとりあえず足を踏ん張った。そして、おれたちに助けを求めるような目線を向けながら、親父にむかって抗議した。
「ちょっと待て。おれは別に、公宮のお世話になるような良くないことはしていない」
「誰もオマエを牢屋にぶち込もうなんていってるわけじゃない。悪いことは言わん。少し顔を貸せ。小遣い程度だが、金も出る」
 小遣いだ何だの言葉にか、ソードマンのふんばる力が抜けたらしい。ぐいとひっぱる親父の所作にバランスを崩す。
「おう。オマエら。こいつちょっと借りるわ」
 そう言って、親父は未だ事情を飲み込めていないソードマンを連れ去った。

 仕官というならば、こんなにぞんざいに決めることはないだろう。
 旅人を連れ去り人知れず人柱とするなんて嫌な話が脳裏を巡りはじめたころ、親父が帰ってきた。
 一体なんだったんだ。ソードマンはどうしたと詰め寄るおれたちにむかい、心配するなと彼は豪快に笑った。待ってる間何か飲むか? と、商売すら始める。
「まぁ、宿で待っててもいいとは思うがな」
 おれたちは顔を見合わせた。おれがカウンターに腰を下ろすのを見て、メディックもそれに習う。彼がそうすれば、あとは決まりだった。
 ここに来たのは昼過ぎのことだった。今はもう、一番星が瞬こうとしていた。
 おれたちよりもベテランらしい冒険者が幾人か店を出入りした。重そうな金の袋や、見たこともない道具が、目の前を何度か横切った。カウンターの半分を占領するひよっこたちに関心を向ける冒険者はいなかった。幾度か親父はおれたちを見たが、特に追い出そうとはしなかった。もともとこの店は酒を飲ませることよりも、仕事の仲介の方が主な仕事だ。ベテラン冒険者たちの打ち上げがあるというのでもなければ、おれたちが居座っていてもさして邪魔にはならないらしい。
 とはいえ、もう夜だ。まがりなりにも酒場に、半分くらいのエールのジョッキを前にしたきりのひよっこが四人も居座っていていいはずがない。どうすると、おれたちは再度額をつきあわせた。
 そこに、ただいまと疲れきった声が響く。
「おう。ご苦労さん」
 疲れきってるじゃあないか、今まで何してたんだと親父の明るい声が響く。
 フラフラとソードマンは、おれの隣に腰を下ろした。そして、親父に一杯頼むと言って、カウンターにつっぷする。
 おおよと、景気のいい声とともに、親父はなみなみ注いだエールのジョッキをソードマンの前においた。
「それで、いくらなんだ」
 ソードマンの声に、親父は肩をすくめ報酬を渡す。小さな指輪に、ソードマンの表情が情けなく歪む。
「それとコレはおごりだ。お疲れさん。……オマエ、そういう顔はつけてからしろ」
 呆れたような親父の声に、ソードマンはグローブを引き抜いて、おそるおそる指輪を身に着ける。そして、不思議そうにてのひらを閉じたり開いたりしてみせた。
「まあ、あとで素振りでもしてみるんだな。それで?」
 何をしてきたとの再度の問いに、ソードマンはエールを一息に半分ほど減らしてから答えた。
「延々と新米兵士に剣の稽古をつけてきた」
 親父の目がまんまるに見開かれる。
「そりゃあ傑作だ。オマエ、ひよっこがひよっこに何を教えるんだよ」
「剣の握り方と、背筋の伸ばし方を教えてきたんだよ」
 そうかそうか頑張ったなと、親父は豪快に笑い、ばんばんとソードマンの背を叩く。ソードマンはエールにむせて、恨みがましく親父を見上げた。
 全く。
 ソードマンといえば、この湧き水を取った直後にも、上から降ってきた芋虫につぶされ、戦闘不能になっている。ここのところ、パラディンに担がれて街に戻ってこないことの方が少ないくらいだ。こんなのが、人に稽古をつけるだと? 片腹痛い。そもそも、この親父も一体何なんだ。本人の答えも聞かず、内容も確かめずに公宮だと? いくら相手がひよっこだからって、馬鹿にしすぎてはいないか。
 どこか得意そうに親父に笑いかけているソードマンの横顔。おれは席を立った。
 先に帰ると告げ、踵を返す。視界の隅に、目を丸くするソードマンの顔がひっかかった。
 ああ、全く。せめて自分の足で街に帰ってこれるようになってから、師範面するんだな。何か言われたような気がするが、おれは一切答えずに棘魚亭を出た。

fin.
2008年02月23日 おんせんにっき