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アルケミストの独白-1

 肩口に指先が食い込んだ。首筋に玉の汗が浮かぶのがわかる。なだめるつもりで、側頭部に手を伸ばす。しつけがいいとは言いがたい髪がしっとりと濡れているのがわかった。ああ、これはムリかな、と。そう思うと同時、ギブアップの声があがった。
 現在、おれは非常にとりこみ中だった。完膚なきまでにとりこみ中だった。自室のベッドで、バカを一匹組み敷いて、いろいろ諸般の作業の後、挿入を試みている最中だ。これが、手馴れたもの同士で、スムーズにことが進捗している最中であったとしても、十分すぎるほどにそうであるといっていいだろう。だが、残念なことに状況はさにあらず。どれだけ楽しめるかは別として、手間がかかることだけは折り紙つきのとりこみ中だった。
 思わず漏れた嘆息のせいか、情けない目が見上げてくる。幾度目かの力を抜けの声に、表情を歪めて首を横にふった。半泣きなのはともかく、肝心の場所からではなく指先の力を抜こうとする姿に、本当の限界を悟る。これが自らの身体を意思どおりに動かせないとなると、かなりの状況だ。諦めるより他はない。
 これはわりとバカだと思う。警戒心が薄く、知識もあまり多い方ではない。そのわりに――まぁ、年頃から考えると、当然といっちゃあ当然なんだが、好奇心は強い。だから、色々やってみるというのについてはノリがいいんだが、その後が良くない。所詮は好奇心だけでついてくるというわけで、実際のところまで至ったところで立ちすくむ。その後、はっと気が付いたかと思うと、脱兎の勢いで逃げていく。そしてそのタイミングは往々にして遅い。とても遅い。さらに始末に悪いことに、そこでイヤなことだと記憶したことについては、クソ、とてもよく覚えていて警戒するようになる。わりとでは穏やか過ぎる言い草だな。まったくもって、家畜並みのバカだ。状況を予測するという能力が著しく低いと言わざるをえない。――まぁ、だからこそ、こんな状況がありうるんだとも言えるわけで、その性質に感謝すべきとも言えるんだが……とてもじゃないが、今はそんな気にはなれなかった。
 おれは深呼吸しながら、腕の力を抜いた。そして、ソードマンに覆いかぶさった。情けない声に対しわかったと答えて、鎖骨のあたりに唇で触れる。露骨にほっとした様子で力が抜けるのがわかった。というか、そうしろといってたんだが、わかってないのかこのバカは。
 そのまま大人しくしてろと言うのに頷くのを確認してから、おれはそろそろと身を引いた。ほんの一瞬、何とかなるんじゃないかなんて考えがよぎったが、やめておく。これ以上、いやなことだと思わせると、二度目は確実にないだろう。
 頭の中で素数を数えながら、おれは大きく息を吐いた。しかし、この状態でおあずけか。……いいかげん大分枯れてきたとはいえ、さすがに厳しいな、これは。そんなことを考えながら、あごに指を添えて唇をあわせる。おどおどと縮こまる舌をなぞり、わずかな満足を得た。
 まぁ、そう簡単に収まるわけはないよな。というか、むしろ逆効果だったかと自らの反射的な活動を反省しながら、おれはソードマンを見下ろした。……多少は悪いことをしたと思ってはいるらしい。居心地悪そうにこちらの様子を伺うさまに、おれはだいぶ溜飲をさげた。とはいえ。まぁしょうがないかという気になるのと、下半身の事情が即時に連動するわけではない。口元を歪め身体を起こすも、すばらしい解決策を思いついての行為ではなかった。世の中には好き好んで苦行を行う連中というのもいるらしい。が、残念ながらおれは、多少の酔狂を好むきらいはあるとはいえ、そういう一派に属しているわけではないのだ。このまま三桁に達しようとする素数を数え続けるという選択はない。二番目に手っ取り早いのは、さっさとこれを追い出すことだろうが、それはさすがにおれが言い出すべきことではないだろう。いや、自主的に出て行くというのならば、引き止める気はまったくない。が。……今現在言い出してないということは、思いつきもしていないと見ていいはずだ。だとすれば――。
 おれは、とりわけ情けない解決法を胸にベッドを出ようとした。が、さっきまでじりじりと逃げ腰だったバカが腕をつかんだ。誰のせいだと思ってるんだ誰の。
「抜いてくる」
 どうしたんだという問いに、端的に答えを返す。そして、きわめて穏やかに、手を放すようにとリクエストした。そんなに難しい言葉をつかったつもりはなかったが、すぐに理解には至らなかったらしい。なんだなんだと目を見開く表情はそのままに、少しずつ顔が赤くそまる。……見苦しいと思いこそすれ、照れるような話ではないと思うんだが。ぎゅっと腕を掴む手に力が入り、おれは眉を寄せた。確かにこのまま四桁に至るくらいまで素数を数え続ければ、現状は解決を見るだろう。だが。おれは、暗算の訓練をしたいわけではない。再度、今度はお願いしますも追加して、おれは手を放すようにと頼んだ。
 ええと、と。しっかりとおれの腕を掴んだまま、ヤツは言った。
「一人で?」
 誰に手伝ってもらえというんだ。しかるべき商売の場所にしかるべき手続きの後お手伝いをお願いするなんてことをしていたら、その間に萎えるわ。おれの嘆息からそのあたりのことを読み取ったのかどうなのか。居心地悪そうに、ヤツはもごもごと謝罪し目をそらした。謝罪する間に手を放してくれ。おれよりよほど元気な年頃のはずなんだが、そのあたりは理解してもらえないものなのだろうか。それとも、おれがそれほどに枯れているように見えるのか。……いや、そこまで年じゃないつもりなんだが。
 ええと、と。幾度か言い直した後、ヤツは顔をあげた。
「て、手伝う。から、行かなくていいじゃん」
 何を?
 そんなに驚いた表情をしていたんだろうか。ヤツはもう一度手伝うとくりかえして、戻って来いとばかりに俺の腕を引いた。
「無理だというんじゃないのか?」
 おれの言葉に、露骨にヤツはおびえたような表情をした。まぁ、そうだろうな。少なくとも、何かそれなりのイベントを考えない限り、コイツが後ろを触らせることはしばらくないだろう。くそ、面倒な。
 それは嫌だと小さくつぶやくのに対し、おれは大きくためいきをついた。
「くわえるのも無理なんだろうが。さっさと放せ。おれは見られて喜ぶ趣味はない」
 見て喜ばせるような高等テクニックは期待できないというのが、正確なところなんだが、まぁ言わなくてもいいだろう。そのうち化けるとも限らん。多分無理だが。
「手でいいじゃん!」
 意を決したかのように、真っ赤な表情でヤツはわめいた。そして、ちらりとおれを見て、眉を寄せる。……おれは、よほど不信げな表情をしてたらしい。どういうことだと不機嫌にたずねられた。
「……いや、その」
 はっきりと言ってしまえば、信用できない。いささか枯れてきたとはいえ、この年で握りつぶされるのはごめんこうむる。というか、普通に命の危機だろう。……まぁ、抜けなくなって大騒ぎ以上に恥ずかしい事態であることは確かであって、命を取り留めたいかというと微妙なところだが。とりあえず、情けない死に方のワースト三くらいには入りそうだ。
 ええと、と。何とかいいわけをひねり出そうとするおれの腕を、ヤツはぐいと引いた。そして、ぼやぼやしているうちに、おれを組み敷き顔をのぞきこんでくる。そこで気がつき、おれは左手でヤツの額をおしのけようとした。……っと、しまった。てのひらを当てたか。おれの腕には金属がうまっていて、その一端はてのひらに顔を出している。そこが触れるというのはあまり心地よくない所行であることはわかりすぎるほどわかっている。だから普段、人に触れるときは指先だけにするよう気をつけているのだが――時折忘れる。もはや二十年近くもそうであるというのに、情けない話だ。だが。特に頓着することなく、ヤツはおれの手首をつかんで、ベッドへとおしつけた。
「そっちは好き勝手するけど、おれはさわんなって、毎回どういうことだよ」
「常日頃の行いをふりかえってみたらどうだ」
 二日がかりで調合した触媒を、「あ、ごめん」の一言でひっくり返したのは二度か。三度目には問答無用で術を開放するつもりだが、ありがたいことにまだその機会は訪れていない。凍り付いている湖に落ち、リスに糸を取られ、せっかくの採取物を真っ二つに叩き折り。枚挙に暇がないとはまさにこのことだ。決まった場所を徘徊する魔物に頭からぶつかったときは、こっちの身が凍るような気がしたぞ。
 こんな粗忽ものに、切羽詰った状況で急所を預けることができるほど、おれは思い切りがいい人間ではない。そういった事柄をかんで含めるように口にはしなかったが、多少は通じたらしい。うう、と、小さく唸って、ヤツは眉間のしわを深くした。
「それに、オマエは他人のに触って喜ぶ方ではないんだろうが」
 この前、少しくらいなら大丈夫かと一緒に触らせたら、見事に萎えただろうが。……その割には、次を嫌がらなかったのは不思議なところだが、まぁ多分、バカだけあって、知識と事実の連結がいまひとつ怪しいんだろう。だから気にするな放せ、と。いやそれはあのといった具合で、なんだか口ごもっている相手を見ながら、おれはそう口にした。……まぁ、なんかこのままでも平気な気はしてきたんだが。ここでもう大丈夫とかいうと、いよいよ若くない気がしてくる。実際に抜くかどうかはともかく、一回頭を冷やしてくるのは悪くない選択だ。
「とにかく、おれはその気になったところで力加減が怪しくなりそうなヤツに急所をゆだねる気はない」
「今、おれわりと正気だし。触って萎えるならその気には遠いんじゃないか?」
 おれはちらりと、目線を下に移動させた。何を見てるんだ何をという言葉には、端的な答えを返し、おれは眉を寄せた。……まずった、か。いや、そういうことをしていてその気にならないというのは、それはそれで困った事態なんだが。さっきからの言い草では、確固たる態度でコイツを押しのける理由にはならない。ような。気がする。
 しばしの間をおいて、おれは苦渋に満ちた決断をした。
「……わかった。やってみろ」
 ああ。これが最後の景色なんてのにはなりませんように。
 なんだか、当初の目的からは遠くはなれたところに来たような気になりつつも、おれはそう祈った。


 とてもとても緊張した面持ちで、ヤツはおれの下肢に手を伸ばした。なんだかおびえてるみたいなタッチで、ゆびさきが微妙に萎えはじめたものに触れる。てのひら全体でなであげられ、おれは息をつめた。
 ゆびさきが少し震えているのがわかる。呼吸を詰めているのもわかる。丁寧に扱ってくれるのは嬉しいんだが、そこまで緊張しなくてもいいんじゃないか。そんなふうに思いながら、おれは左手のゆびで、すぐ近くにある頬に触れた。瞬間、うわと心底驚いたような声が上がり、背筋が冷える。だが、心配をよそに、ヤツはちゃんとてのひらの力を抜いてくれていた。
「脅かすな!」
 危ないだろう、と。自分の粗忽さを十二分に理解した言葉を口にし、おれを睨んできた。
「……悪かった」
 今度は予告すると口にしてから、おれは少し身体の位置を変えて、ヤツの耳元に唇を寄せた。
「そんなに恐る恐るされると、こっちまで緊張してきそうなんだが」
 うう、と、ヤツは小さく唸っておれの肩口に額を押し付けた。……さっそくてのひらはお留守になるあたり、並行処理のできないヤツだ。してくれるんだろうと穏やかに促すと、小さく顔が上下した。そして、再度てのひらが伸ばされる。
 しかし。ガチガチに緊張して、思い切り身体は引いた状態で、手だけを局部に伸ばすという姿勢はいかがなものか。なんだかこう、汚いものを指先でつままれているみたいで気が滅入る。……頬ずりしながら愛しげに指を滑らせてなんてことを期待したわけじゃあないし、あんまり夢中になられても怖いといえば怖い。とはいえ。いくらなんでも。意思確認が不足したとか多少故意に無視してみたことがないとはいわない。ただ、はっきりきっぱりコイツがイヤだと意思表明したことを無理強いしたことはないつもりだ。気持ちよくなる手段は、未だ多少目新しいのも含めて残されている。代替も、コイツが嫌ってない手段もあるんだから、無理する必要はない。……いつまでもそのままでいるかどうかは別として。だから今にしても、そんなに思いつめる必要はないと思うんだが。……そんなに、他人に抜かれるのが気に入ったんだろうか。別に今までだって何もしなくともしてただろうに。
 ぎこちなく手を動かしていたヤツは、小さく唸るとあいた手でおれの腕をつかんだ。なえかけてるのが気に入らないんだろうな。だが、不可抗力だろう。
 真っ赤な顔で、ヤツはおれを睨みつけた。そして。
「む、むこう向いて」
 わかりづらい、と。どもりながら言うと、身体を押してくる。ぐいぐいとおしくらまんじゅうみたいな色気不足の促しに、おれは小さくためいきをついた。そして、促された通りにヤツに背を向けてやる。
 姿勢を変えると、背後から腕が身体にまわった。おちつかなげに少し動き回った後、いい場所を見つけたらしい。腰のあたりでおとなしくなったかと思うと、ぎゅっと抱きしめられた。とはいっても、腕と顔と髪くらいしか当たらない。どれだけ腰が引けているんだまったく。
 おれは、後ろに腕を伸ばした。そして、しつけの悪い髪に触れるのを確認し、軽く引く。肩甲骨のあたりで顔が動く気配があった。無理に身体をひねるようにして、背後に顔を向ける。よしよし、これはわかるか。おずおずと触れてきた唇に舌先でこたえながら、内心、満足感を持ってうなずいた。
「もう少しうまく姿勢を変えさせてくれ」
「……うう」
 肩口に歯がたてられた。わかったわかった、そのうちおしえてやるから。
 続きは? と。我ながら呆れるほどの猫撫で声で促すと、背後から回されたてのひらがおれのものに触れた。さっきまでよりはずいぶんとスムーズに、撫であげられ、おれは目を細める。
 背後でごくりと喉が鳴ったかと思うと、反対の手もまた触れてきた。根元と先を不ぞろいに、柔らかく愛撫され、ゆっくりと息を吐く。口を開きかけたが、今は何も言わないほうがいいだろうと考えなおし、乾きかけた唇を舌先で湿すに留めた。
 リズミカルなてのひらの動きに、淫猥な水音が絡み始める。わかりづらい、な。なるほど。いつもこうしているのかと尋ねてみようかとも思ったが、本能が警鐘を鳴らす。代わりに、喉の奥で小さく音が鳴った。
 てのひらをヤツのそれに重ねてやると、露骨にびくりと震える感触があった。口で息をしながら、先を促すみたいに指を絡める。自らのものが思い切り上を向き、ぬるりとりた先ばしりを分泌させてるのがわかる。
 おれは口元を歪めた。上出来だと言ってもいいだろう。あとでどうほめてやるか。反対側の手を口元に運び、指を噛みながらおれはそう考えた。
 不器用なゆびさきが先端をかすめ、おれは声をあげる。てのひら全体で、下から上へと促すように握りこまれた。いきそうになるのを反射的にこらえると、腰に甘い痺れが走った。かと思うと。
 局部から、てのひらが外れた。そして、ぎゅっと腰を抱かれた。
 はい?
 生意気にもじらそうとでも言うのか、後は自分でしろとかそういうプレイか。どこでそんな知恵を身につけた。……おれか? いやそこまではしていない。
「ええと」
 混乱のさなか、背後からおずおずと声がかかった。おれは何だと問い返す。声がかすれているのは不可抗力だ。さっきどころじゃなく切羽詰まっているんだから仕方がないだろう。
 ええと、と。ヤツは再度くりかえした。そして。
「や、やっぱりやめとこーか」
 へらへらした笑顔が目に浮かんだ。おれはしばし硬直した。そして内容を理解するやいなや、腕をふりほどき身体の向きを変えた。
「おい」
 喉にはりつくてのひらと地を這う声に、ヤツは顔をひきつらせた。そして、ぱくぱくとおぼれた魚みたいに口を開閉させる。
 どういうつもりだ。まわりくどい嫌がらせか。それとも、身の丈にあわないプレイをしかけてどうすればいいかわからなくなったか、ああ?
 やがて目の前の顔に、間抜けな笑みが浮かんだ。
 それに答えるように、おれもまた笑みを浮かべる。目の前の間抜けづらは凍りついた。よほど怖かったんだろう。
 こいつはバカだ。警戒心が薄く、知識もあまり多い方ではない。だけど好奇心は強い。のこのこと近寄って来るのはいいが、途中自らに降りかかっている火の子に遅ればせで気づいて、脱兎の勢いで逃げ出していく。そう、そのタイミングは往々にして遅い。とてもとても遅い。家畜に失礼なほどの頭の悪さだ。
 くそっ! まさかここまで来て、逃げようとするか普通。見たくないなら見たくない、気持ち悪いなら気持ち悪いでもう少し先のタイミングがあるだろう! おれは今回は絶対に無理強いしていない! オマエが言い出したんだ。オマエはこのタイミングで放り出されて平気だというのかこの!
 今まで甘やかしすぎたということか。ぎりぎりと奥歯をくいしばりつつ、ほんの少しだけゆびさきに力を入れる。ゆびさきがヤツの悲鳴を感じ取る。こうなったら、うっとりとなめまわしたXXXに頬ずりしながら、自分でXXをXXして広げながら半泣きでおねだり、目隠しのまま上に乗って自分のXXXを握りながら腰をふって喜ぶくらいのところまでは調教してやる。ああ、本格的なのはこっちが面倒だが、軽い拘束くらいならいける程度にもしてやらないとな。場合によってはピアッシングも面白いかもしれない。それともこっちの体力を補う怪しげな薬でもつかうか? さて。本格的な調教までは面倒と思っていたんだが、頑張ってみるのはとても楽しそうだ。楽しいに違いない。ああ、しっかりとしつけてやるさ。思い知れ、
 そんなバラ色の未来に気づいているのかいないのか。小指から順番に力を抜き、手を引こうとするおれの動作に対し、ヤツは露骨にほっとした表情を浮かべた。

fin.