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白い恋人

 オマエのような奴にうちの娘はやらんと玄関先で怒鳴られるのが昭和の風流だとするならば。入門させてくれと軒先で何度も頼むのが禅寺の修業の始まりならば。軍師を三度迎えに行くのが大将の勤めならば。
 ノーを出す正体不明の笑顔をなんとかするのは、一体何になるのだろうか。
 「恋人と職場が違うのって、あたりまえじゃないの?」
 一家総出の農家はどうなる。個人商店はどうなんだ。
 「うん、でも日本では二十以下は親の監督下にあるって法律で決まってるから」
 だから却下、と。天香学園での任務が終わると同時、詳細をつまびらかに連ねれば、日本の某女流作家のファンタジーとは言わぬものの、本にすればドアストッパーとして活躍できそうなほどの分量になる出来事を経て、一生涯のパートナーと目した人物を連れていこうとしたところ、あかのたにんが駄目出した。
 パートナーと目した相手本人が、知るかと一言断言すれば事態は変化していただろう。だが。
 せめて高校卒業くらいは待ちなさいよと説得され、おとなしくすることをきめたところ、当の本人が大学の合格通知をひっさげてきた。さすがにセンター試験は受けていなかったものの、私立大学ならば年があけてからの出願で十二分に間に合う。卒業できることもそうだが、大学に行けるほどの勉強なんてしていたのかとか、いろいろとつっこみたいところはあるが、実物を目にしてはぐぅの音も出ない。ああそういえば、あかのたにんが却下してたのにはさんざ言い返していたけれど、当の本人のはっきりした返事は聞いていなかったことを思い出し、不言実行も大概にしやがれとがっくりうなだれる。
 とはいえ。一緒に行きたいと恋愛の勢いはあるものの、それ以外に関しては不安要素だらけのパートナーだ。氏素性を詳細に調査したわけじゃないけれど。生まれも育ちも日本のいわゆる中の上階級。一生涯食うに困らぬ動産不動産があるでなし、一発逆転を狙うか首をつるかの二者択一状態の借金があるでなし。被差別階級でもなければ、統治者階級でもない。《墓守》として身につけた運動能力こそ群を抜いているものの、それはあくまで一般人と比較した場合だ。能力者のレベルになれば、はなはだ地味な《力》としか言いようがない。 教師に大層嫌がられたという破滅志向も、恵まれたインテリがよくもつタイプのそれにすぎない。アウトローとなるべくして生まれてきたというのとは根本的に性質が違う。
 訓練など一秒たりとも必要がないほどに能力適正があるでなし、出来不出来を積極的にカバーするほどの情熱があるでなし。だとすれば。国籍不明死して屍拾うものなしの究極にやくざな世界に足を踏み入れるよりは。ごく普通の学歴に、ごくあたりまえの税金年金社会福祉の世界にいた方がいいのではないかと。通い婚もありではないかと。さくら咲くころ、葉佩九龍はその境地に達した。


 皆守甲太郎は、雑貨店のバックヤードに腰を下していた。もとい。雑貨店のバックヤードみたいに段ボール箱がつみあげられた中で、巨大クッションに腰を下していた。
 目の前には、うきうきと数ある段ボールを開封している葉佩九龍がいる。
「……で?」
 皆守ならずとも、これは聞きかえさずにはいられないだろう。高校卒業半年前の縁に付随して、いろいろあった葉佩九龍が、久しぶりに日本でゆっくりできると言ってきたのが一週間前。微妙な胸の高鳴りとともに、狭いのにとか布団がないとか何とか言いながら、アパートに連泊することを了承したのがその時。
 予告した日付は何事もなく過ぎて、テレビの前の巨大なクッションに埋もれて丸くなった。その後、日付に遅れること約四時間。ヨッパライか借金取りかといった勢いでチャイムがなり、なんだなんだと仲のいいまぶたをひっぺがすより早くかちゃりとカギが開き、外気が流れ込んでくる。すわなんと図々しい強盗かと。新鮮な空気に目を見開いてみれば、久しぶりあいたかったとつんとくる臭いとともに固いものが抱きついてきた。容赦なく蹴りを入れ、風呂に入ることを命じ、その後ロフトに行けと続ける。さらには、着替えがなければ、枕もとの衣装ケースからなんでも取れと言い放つ。きゅーんと情けなく鳴く後ろ姿に、起こすなと厳命して目を閉じた。
 そこまでが昨晩。そしてついさっき。
 またもやチャイムに起こされた。昨晩の出来事は夢かうつつか幻か。首筋がびぃんと張るイヤな感触とともに、起き上がろうとすると、いいからこーちゃんは寝ててと声がかかる。皆守のTシャツとイージーパンツを身につけた男が、家主然とした様子で玄関に向かった。そして、訪問者が正体鮮明な黒い猫を名乗り、印鑑かサインをもとめる。はいよおつかれさんと言う声の後、次々と荷物が運び込まれた。
 どういうつもりだ。一体この大荷物はなんだ。何がごくろうさまだ。この部屋の主はだれだ。印鑑はどこからとりだした。遅刻のいいわけはなしか。あまりに数が多すぎて、どれから口にしようかと迷っていたところ、全部の段ボール箱をあけおわった葉佩が言った。
「あ。こーちゃん、おはよう」
 そうか、オマエの言いたいことはそれだけか。ゆらりと皆守の背で怒気が揺れた。


 やっとのことで、段ボール箱の中身の大半をロフトに追いやり片付ける。さて一息ということで、皆守は巨大クッションの上でふんぞりかえった。対し、葉佩はなぜかフローリングにじかに正座をしている。時々顔をしかめるのは一体どういうことだろう。しょぼくれた飼い犬みたいな目で皆守を見上げるが、芳しい反応はない。動くと怒られるだろうか? 目で問うても答えはなかった。
 とてもとても長い時間がすぎたような気がした。意を決し、葉佩は下に残した段ボール箱のうち一つに手を伸ばした。
 中から一つ、ピンク色の包みを取り出すと、皆守の前でささげ持った。
「は、はっぴーばれんたいん」
 皆守は目を見開いた。ちなみに、今日は十一月である。
 それから、それから、と。
「ええっと、ほわいとでーと、それから卒業おめでとう」
 白のラッピングに、紺色のラッピングが続いた。
 入学おめでとう、誕生日おめでとう。いつもおせわになってますはお中元だろうか。その後ハッピーハロウィンがあって、もういちどお世話になっていますがくる。さらにもう一度バレンタインデーが来て、ホワイトデー。そこまで来たところで、やっと皆守は我に返った。
「まて。ちょっと待て、何だそれは」
 誕生プレゼント、と。手に持ったものに視線を落とす葉佩に対して、皆守は語気強く違うと言った。
「今日は何月だと思っているんだ。何日だと」
 ええと、と。葉佩は頬をかいた。
「もちろん当日にあげるべきものとは思うけど」
 無意識の動作なのか、何かをしようとしているのか。葉佩はひとまず誕生プレゼントと称した包みをおくと、バレンタインと言い張った包みを手にとった。
「なかなかゆっくり会えなかったし。その、実はプレゼントを間に合うように用意できなかったりもあって」
 淡いピンクとラベンダーカラーの薄紙を重ね、少し濃い色のリボンをまく。金色のシールがアクセントだった。葉佩の器用な指先は、そっとシールをはがし、ホッチキスで止められたリボンを解いている。
「やっつけしごとでまとめてどうにかしようってのか?」
「違う」
 中から出てきた銀色の袋をぎゅっとにぎって、葉佩は皆守をにらんだ。皆守は、無表情に葉佩を見返していた。だが、やがて目をそらす。
「悪い」
 そして、小さくつぶやいた。比較的素直な謝罪に、すぐに葉佩は破顔する。わかったと言いながら、包みをあけ、中のものを取り出した。
「……しかし、オマエは他人へのプレゼントを封を切って渡すのか?」
「これ、見た瞬間こーちゃんにあげるしかないと」
「聞けよ」
「カレーチョコレート。今はなきカレミュー謹製!」
 口元に迫ってきた茶色の塊に、皆守は思わず口を閉じる。葉佩は一片の曇りもない笑顔で、あーんしてと首を傾げた。
「……」
「たべて」
 皆守は微妙に身体を引いている。
 葉佩はにこにこと笑顔を浮かべている。
 皆守はそろそろと片手を持ち上げ、ほんの少しだけカレーチョコレートに伸ばした。
 葉佩はにこにこにこにこ笑っている。
 皆守は手を引っ込めた。そして、がりがりと頭をかく。
 葉佩は飼い主が遊んでくれるのを待ちわびる犬みたいにきゅーんと鳴いた。
「――」
 皆守は勢いよく息をはく。そして、葉佩の手首をつかんで支えた。
 ぱくりとチョコレートをくわえる姿に、葉佩の笑みが深くなった。そして、凍りついた。
「あのー」
 葉佩が差し出していたのは、チョコレートひとかけらだ。チロルチョコと勝負するくらいの大きさに過ぎない。だから、さして困難なことではない。
 皆守は第一間接まで葉佩の指を口中に収めていた。そして、葉佩の情けない声には頓着せず、しっかりと相手の手首を捉えた状態で、唇を進める。
 こーちゃん、と。呼び掛けようとした葉佩の舌がしびれたみたいに動きを止めた。指のまたに、ぬるりとした感触が触れる。尾骨から頭頂へと妖しい感触が走った。
 皆守は葉佩の指を根元までくわえた状態で、少しうわめづかいになりながら葉佩を見ている。ごくりと葉佩ののどぼとけが動いた。
 つつ、と、舌先が人差し指の輪郭を確かめるみたいに、根元から爪の先へと移動する。皆守の唇が少し緩み、熱い吐息を吐く。そして目を閉じ、短く切られた爪に沿って舌を這わせる。その後唇ではさみ、小刻みに先のあたりを刺激する。
 葉佩は身体を硬直させた。その様子に調子に乗ったのか、唇の動きはさらに大胆さを増す。根元から先へと手首を捉える手の力も借りながら、大きく動かした。
「こーちゃん!」
 はっきりと、下半身が形を変え始める。それをふりはらうかのように、葉佩は叫んだ。皆守はうわめづかいでちらりと葉佩を見る。もう一度根元から先へと舌を移動させ、皆守は葉佩の指を解放した。
「食べていいんだろ」
「はい?」
 葉佩の目がまんまるに見開かれた。なんだ違うのかと、面白くもなさそうに、皆守はぽいと葉佩の手を放り出した。
「とんでもございません! ぜひとも、ごゆっくり味わってお召し上がりください!」
 ぶんぶんと首を横に振り、さらにはしゃちほこばってあやしい敬語を叫ぶ様に、皆守は口元をゆがめる。
 ほんの少しあごをあげたのが契機だった。葉佩はプレゼントを食べていただくために、ずいとひざを進めた。

fin.

「白い恋人」(2008-02-19配布)より