穏やかな春の日差しの中、一人の少女が緊張の面持ちでたたずんでいた。女性物のレザーアーマーを身に付け、その身に似合わぬ戦斧を携えた姿から、おそらくは彼女が世界樹を相手にしている冒険者――特に、ソードマンと呼ばれる前衛職であろうことが予測される。
実際、彼女の前には厳しく閉ざされた門があった。隔世(せかいじゅ)と、現世(まち)を隔てるための門だ。幾多の冒険者たちが、富と栄誉を求め、かの門の向うに消えた。あるものは、富と権力への手掛かりをつかみ戻ってきた。だがそれ以上に多くのものは、何かをなくし戻って――もしくは、二度と戻ってこなかった。
彼女もまた、その門の向こうへと足を踏み入れようというのだろうか? たった一人とは、いくらなんでも無謀ではないか。だが。 しばし後、少女の表情が輝いた。冒険者であるか否かにかかわらず、それはもっとも少女たちを輝かせる表情だった。
彼女の視線の先には、ついさっき世界樹から帰還した冒険者の一団がいる。ソードマンの少女は小走りに駆け寄った。ほのかに上気した顔で、彼らに声をかける。怪訝そうな彼らを前に、大きく息をすいこんで、高らかに、そして一息に言った。
「あの! カッコいいアルケミスト(黒)さん! わたしとおつきあいしてください!」
「ごめんなさい、おつきあいはできません」
間髪いれず、にべもない拒否に、時間が止まった。え、と。ほんの少し青ざめた少女の唇が動く。さらに容赦ない追い討ちがかかる。
「僕は、胸の小さな女性は嫌いなんです!」
すでに用は済んだということだろうか。少女に名指しされたアルケミストは、すたすたと彼女の横をすぎ、街へと向かう。同じギルドらしきダークハンターの女性(巨乳)の腰に手をまわしながらだった。
とても端的なアルケミストの言葉に、少女はただ呆然と立ちすくんでいた。すでにつきあっている人がいる、好きな相手がいる、君のことをよく知らない。いろいろと予測しうる理由はあるだろう。だが。これほどまでに完膚なき、言い訳できない、動かしようのないそれがあるだろうか?
確かに、立ち去ったアルケミストの言うとおり、少女の胸の大きさは、控えめに言って控えめだった。外見以上にそうだった。実のところ、その身にまとった女性物のレザーアーマーの下に、微妙な空洞すら存在するのだ。もっとも、それは彼女の年を考えれば無理からぬことである。未だ彼女の身体は発展の途上にあり、胸や尻の大きさはこれからいくらでも変化しうるのだ。 まるで、石化攻撃を受けたかのように、彼女は動かなくなった。
ええと、と。その騒ぎを目の当たりにしていた通りすがりのソードマンらしき少年が、行っていいのかなとばかりに辺りをうかがっていた。ここは公道なのだから、誰が通行しても文句を言われる筋合いはないだろう。だが、だとしても。先ほどの騒ぎは、なんとなくそこを通りたくないと思わせるに十分な代物だった。
やがて意を決したらしい。誰にともなく愛想笑いを浮かべると、彼は世界樹へと足を向ける。そして。
「そりゃーやっぱ、ふかふかの柔らかいおっぱいって重要だからしょーがないんじゃね?」
「黙れ童貞。経験もないくせに抜かすな」
もしかすると、彼は彼なりに慰めを口にしていたのかもしれない。だが、瞬間。彼の言葉を攻撃とみなした少女による、ソードマンお家芸のカウンターが炸裂する! 適当なことを言うな知ってるのかと、地に伏した負け犬が吠える。もっとも、彼女の言葉が事実であったとして、彼がそれを恥じるべき年齢かどうかは議論の余地があるのだが。少女はずかずかと街へと向かった。低く不穏な笑い声が漏れている。道ゆく人々は、ただ遠巻きにその姿を見送った。
とうに太陽は沈んでいて、思いのほか冷たい風に人々が季節の移り変わりを感じるそんな時間だった。
昼夜を問わず、ケガ人病人を受け入れている施薬院とて、いつもフルメンバーがつめているわけではない。その日の勤務を終わり、家路を辿ろうとした一人の職員は、施薬院主(あるじ)の不審な動きに気づき、声をかけた。
「あれ、先生、どうなさったんですか?」
その声に必要以上にびくりと身を震わせると、ロマンスグレーはああいやと笑った。
「いや、ちょっとした探しものだ。ああ、今日もご苦労様」
お手伝いしましょうかと羽織りかけたコートを脱ごうとする彼に、院長はいやいやと両手をふってみせた。むしろ、職員を追い返そうとするかのようだった。
「大丈夫、大丈夫。ただのプライベートなメモ、そう、メモが見つからないだけだから」
君は帰るところだったのだろう。この仕事は休養も立派な職務だといつものきさくな笑みを浮かべる院長に、職員はしかしと眉を寄せる。施薬院の仕事に関するものじゃあないから、と。さらに言い募る院長に、しばし職員は不審げな視線を向けていた。だが、やがてそれならとコートを着なおす。
「それでは、お先に失礼します」
ああまた明日、と。いつものように挨拶を交わした後、職員が施薬院を出て行く。笑みを張り付かせ、その姿を見送った後、院長は再度自らのデスクに向き直った。そして、一番下から順番に引き出しを引き抜きはじめる。
「おっかしいなー、確かにここに入れておいたはずなんだが」
エトリア乳くらべ(極秘)はどこにいったんだ、と。そう言って、彼は引き出しを抜いた奥を確認する。引き出しから出したおぼえはないが、どこか別の場所にしまっただろうか? 頭をひねり、薬品棚やカルテ棚をも確認した。だが。彼が求めるものはいっかな姿をあらわそうとはしなかった。
施薬院院長が背中を丸めて不穏な探し物をしていた頃、心地良い疲れと酔いに身を任せ、ダークハンターの女性と少女が連れ立って通りを歩いていた。今日の仕事も守備よく完了、あとは明日のためのお手入れを念入りに行い、ふかふかのベッドで眠りにつくだけ。そんなご機嫌な帰路をぶちこわしたのは、近所迷惑も顧みぬあやしい高笑いだった。
「ひゅーほほほほほほほほほほ」
ダークハンターとしても、冒険者としても、変人や変態の一匹や二匹、いまさら語り草にするほどのこともない彼女たちだ。必要だったのは、横目で連れの表情を確認するだけのわずかな時間だった。うなずきあう時間すら省略し、彼女たちは、アレな存在への最も正しい対処を実践――つまり、何一つ関心があるそぶりを見せずにただ足を早めた。
満月を背に、通りの民家のうえで高笑いしていた不審者は、軽やかな身のこなしで通りに降り立った。ちょうど、二人連れのゆく手をさえぎる形だった。
冒険者の多いエトリアでも、そうは見ない格好(へんたい)だった。顔を見られることを嫌い深くフードを下したカースメーカー、もしくは身の安全のため頭から足先まで板金鎧(プレートメイル)で覆いつくしたパラディンというのはいる。だが、顔の上半分を珍妙な仮面で覆った人物というのは、仮装パーティの会場でもなければ、そうお目にかかれるものではないだろう。 実のところ、目許を覆い隠す仮面などというのは、不審者(それ)のあやしさにほんの少しのスパイスを加えているに過ぎなかった。不審者(それ)は、ボディラインを露わにしたつなぎを身につけていた。露出度こそ、ダークハンターにありがちな服装(ボンテージファッション)ほどではない。とはいえ、全身をぴっちりと覆うそれは、露出こそ少ないものの女性のボディラインを極端なまでに露わにしている。身の丈はどちらかというと小柄な方だ。手足や腰のラインも、しなやかで細い。ただ、思い切りよく持ち上がった胸だけは違った。つなぎにはD-CUPと胸のあたりに描かれている。だが、どうみてもその程度で収まったサイズではない。日々、谷間の美しさで男性陣の視線を釘付けにするダークハンターの女性の美乳(Fカップ)すら凌駕した思い切りの良い巨乳だった。
「巨乳ハンター、その男を惑わす乳のパイ拓、もらい受ける」
片手には墨汁の瓶、もう片方にはさらし布。それぞれを手にした腕を胸前でクロスし、不審者――巨乳ハンターはそう宣言した。
「……かまっちゃ駄目」
足を止めかけた少女に対し、女性はそう口にした。茶番に付き合う気はない。口調から表情態度から歩調まで、すべてがそう主張している。
「はい、お姉さま」
くるりときれいな巻き毛のツインテールを揺らし、少女はうなずいた。
確かに巨乳ハンターは、彼女たちの進路をふさいでいる。だが、大通りではないとはいえ、女性の身体一つで通れなくなるほど狭い路地でないのも確かだ。少女は少し歩調を緩め、女性の斜め後ろについた。彼女をカバーする位置であり、道をあける位置でもあった。
「ぢぇいっ!」
巨乳ハンターは構えをとかぬままに地面を蹴った。
「な……!」
辛うじて避けた二人の間を、墨汁が勢いよく抜けていく。
「ちょっと何すんのよ、汚れたらどうしてくれるのよ!」
毛皮よ毛皮、わかってんの! と。先ほどの黙殺の決意はどこへやら。先に切れたのは、女性の方だった。
「世界樹に挑む冒険者なんだから、服が汚れる破れるなんて普通じゃろーが」
「だから、滅多に行かないのよ!」
くるくると指先で墨汁のビンを回しつつの巨乳ハンターの言葉に、女性は大きな胸をさらに強調するかのような立ち姿で、堂々と答える。
「うわぁ」
「世界樹に入んないと市民権とりあげられちゃうからさー、医者もかかれなくなるしぃ、住むトコとかお買い物とか困るようになっちゃうしぃ」
「それっていわゆる不法入国……」
「あら、貴女も稼ぎたいなら紹介しましょうか?」
うふん、と。濡れたルージュの唇を笑みの形に歪ませ、女性は巨乳ハンターに艶めいた視線を投げた。
「その仮面はいただけないけど、あなたの乳なら大丈夫よ。男って結局、ママのおっぱい吸ってた頃からぜーんぜん進歩してないものなのよね」
きゃはきゃはと愛らしく笑いながら、彼女は胸の谷間――もとい、胸のあたりの隠しポケットから名刺を一枚取り出してみせる。確かに、巨乳ハンターの乳は彼女の言うとおり、とてもとても立派なものだ。しかし。
「ゆ、ゆーてはならんことを。もはや手加減無用っ!」
どっぷりーんとした乳がちょっと不自然に揺れる。巨乳ハンターが腕をふりあげたためだった。攻撃とも激情の発露ともつかぬあいまいな動きを、ぴしりとまきついた鞭が封じた。犯人は、女性の影に隠れるようにひっそりたたずんでいた少女だった。
「……ほぅ?」
「よくできました、仔猫ちゃん」
女性の甘い声に、無表情な少女の頬がほんの少し上気する。彼女は小さく頷き、鞭を握る手に力をこめた。
巨乳ハンターは用心深く腕を動かした。鞭の向こう側にかかる力をはかるかのような動作だった。にやりと口元が弧を描いた。次の瞬間、巨乳ハンターは地面を蹴り、少女に向かう!
少女は表情一つ動かさずに、絡みついた鞭を解き後退する。巨乳ハンターは墨汁とさらし布を左手に持ち、剣を抜いた。
「っ――!」
そのまま少女に切りかかるかに見えた彼女は、不意に方向を変える。一拍遅れて、彼女の頬から一筋の血が流れた。
ダークハンターの女性の指にあった名刺が地面に落ちている。角の一つが、ほんの少し赤く汚れていた。
「……あやしいお店のおねーさんが本職ではなかったか?」
「It's show time」
じりじりと、巨乳ハンターをはさんで対角線の位置に、少女が移動する。
「今日の調教相手はぁ、巨乳の変態ちゃんでぇす」
「誰が変態だ」
「女王様と仔猫ちゃんの技、たーっぷりとお楽しみくださぁい」
やけに間延びした口調のアナウンスは、集まりつつある野次馬に対するサービスだろうか。いいぞ、女王様! ガンバレ変態! と、無責任な野次がそれに応える。
ゆっくりと、女性は細身の剣を抜く。巨乳ハンターにしてみれば、それを待つ理由はない。地面を蹴った。
「ぐっ……」
が、そのままばたりと倒れた。足首に、少女が操る鞭が絡みついたためだった。ぐいと少女は鞭を引く。ずるり、と、地面に倒れた巨乳ハンターの身体が動いた。ほっそりとした手足からは信じられないほどの膂力だった。 女性が進み出る。
「口ほどにもない」
そう言って、彼女は剣の切っ先を伸ばした。その先には、巨乳ハンターのマスクがある。いいぞー女王様、どこの店だーという野次馬たちにひらひらと手をふってから、彼女は切っ先でマスクをひっかけた。ほんの少し力をこめれば、ぷつりといく。
「ハッ!」
巨乳ハンターは、腕立ての要領で地面にてのひらをつき、力を込めた。腕の力のみにもかかわらず、身体が跳ね上がる。女性が持っているものよりも、ずいぶんと無骨な剣が下から上へとまっすぐな軌跡を描いた。
「きゃあっ!」
「――ああっ、お姉さま! あっ!」
夜目にも白い巨乳がまろびでる。おおっと野次馬たちが喜びの声をあげた。巨乳ハンターは剣を捨て、腕で地面に激突する衝撃を和らげた。そして、少女の力が緩んだ期を逃さず、足をひき姿勢を整える。 闇よりも黒い液体が、女性の胸に襲いかかった。その後を、さらし布が追う。
「っ! ……あ、ちょ、や……あん、やだ、待って、イイ……」
意外なほどに繊細な指先が、さらし布の上から豊満な女性の胸をもみしだく。乳首を掠め、つまみ、さらには胸全体をこねくる動きに、思わず女性は声をあげた。
おお、と。野次馬の輪が狭くなる。鞭をとりおとし、少女がお姉さまと半泣きで呼んだ。その時。
ピリピリとどこかで聞いた笛の音が響いた。近所の誰かが通報したのか、それとも見回りの途中なのか。執政院の兵士たちが近寄ってきた印だった。
野次馬、そして巨乳ハンターとそれぞれがそれぞれの理由で舌打ちをした。
「ふん!」
巨乳ハンターは女性の胸からさらし布をひっぺがした。野次馬たちから、感嘆と落胆の声が上がる。「以降、その乳で無駄に男を誘惑するようならば、この恥ずかしいパイ拓、衆目に晒されると思え!」
剣を拾い上げ、巨乳ハンターは野次馬の輪に突進する。
「ひゅーほほほほほほほほほほほほ!」
うわあっぶね、剣しまえ剣、おまわりさーん犯人はこっちデース、と。そういった声を気にすることなく、彼女は現れたときと同じ怪しい笑い声を残し現場を後にする。
「……テクニシャン……って、コラ、アタシの服」
「自分は証拠品を集めているのであります!」
「死ね助平」
やっとこさかけつけてきた兵士に蹴りを入れる女性と、お姉さまのバカバカと泣きながら訴える仔猫ちゃんの声を残し、巨乳ハンターデビュー戦は幕を下ろした。
夜な夜な出没する巨乳ハンターによる被害は増える一方だった。
「こわーい、アタシも気をつけなきゃー」
「それ巨乳じゃなくてデブだから大丈…ぐあああああ」
酒場の片隅、執政院が発行した「変態注意」のポスター横の、ふかしまんを山盛りにしたテーブルで、ソードマンの少女が何やら紙束に見入っていた。女性名と数字のリスト――大半は黒く塗りつぶされているそれを注意深く見、ふむふむと頷いている。新たに一つ、名前を塗りつぶしたところで、自らの名を呼ばれ彼女は顔をあげた。
「ちょいーっす!」
座ってもいいかと向かいの席をさしたのは、友人のメディックの少女だった。
「肉まん食べる? ぬるいけど」
「もらうー! あ、そういえば。ちょい前に世界樹の前で告白騒ぎ起こしたでしょ」
にひひと面白そうに笑いながらの言葉に、ソードマンは口に含んだジュースを吹きかけた。アンタ惚れっぽいもんねーとかなんとか適当なことを言ってけらけらと笑う少女をぐっと睨み、何が言いたいのかと低い声で問いただす。答えによっては、今すぐにでも剣を抜くといった風情だった。
「彼さー、最近、好みの巨乳ちゃんに避けられまくってたんだけど」
メディックの言葉に、ソードマンはうんうんと満足げに頷いた。
「とうとう彼女できたらしいよー」
だが。それに続いた言葉に対しては、大きく目を見開くはめとなる。
「すっごい巨乳で美人のメディックで、君こそはボクの理想とかちょーラブラブって!」
きゃーすてきーとテンション高く頬にてのひらを添えて、メディックが盛り上がる。その様に、ソードマンはぱくぱくとただ口を開閉させた。
「って、あ。噂をすれば影」
あれあれ、と。メディックは、入ってきたカップルを指差し声をひそめた。確かに彼女の言うとおりだった。ちょっとでも離れたら死ぬと言わんばかりの所作で彼らは寄り添い、カウンターの女将に声をかけている。バカップルという意味でも、巨乳の彼女という意味でも、正しい姿だった。
「ごめん、トイレ!」
ガタンと椅子をならしてソードマンの少女が立ち上がった。
「って、え? くれるんじゃなかったの? ちょっとー!」
一挙動でソードマンはテーブルの上の肉まんをさらえた。そして、ざっくりとそれをどこからともなく取り出した紙袋に入れ、席を立つ。まっすぐに店の出口へと向かう背中に、メディックは声をはりあげた。
だが。彼女の声は、ソードマンの足を止めさせるには不足だった。不気味な低い笑い声を残し、彼女は店を出て行った。
*
数分後、勢い良く酒場の扉が開かれた。ドアベルの音どころか、限りなく破壊音に近い音に被さるかのように、怪しい笑い声が響く!
「ひゅーほほほほほほほほほほほ!」
酒場にいた人間すべてが注目した。酒場といっても、酔っ払いがもりあがるには少しばかり早い時間だ。客は情報交換に来ている冒険者ばかりであり、変態(こういうの)が出没するには少しばかり早い。
「あらあら、どうしましょう」
店主の未亡人は、ちっとも困っていない口調でつぶやくと、頬に手を当て、首をかしげた。
「巨乳ハンター、参上。男を惑わす悪の巨乳、そのパイ拓もらいうける」
ぴしり、と、店内の一点を指差し、その人物は言った。
何の騒ぎか、どこの変態か。店内他の客と同様、酒場の入り口をうかがっていた女性メディックは目をしばたかせた。えっ、と。思わず声を挙げた彼女の前に、彼氏のアルケミストが立ちはだかる。
「いきなり何なんだ君は!」
「われは巨乳ハンター。……今宵はその乳を用いて男を惑わす女のパイ拓をもらいに来た」
「何を言っている。でかい乳が魅力的なのは普遍的真実として疑うべくもな――」
ひゅん、と、巨乳ハンターの持つ剣が空を切った。しのごごたく()をならべるなうっとおしい、と。そう言いたげな音に、おもわずアルケミストは口をとじる。その彼をかばうかのように、白い繊手が差し出された。
「――!」
アルケミストの男は、メディックの女性の名を呼んだ。緊張の面持ちで彼女はこくりと頷いた。
「彼は関係ないでしょう?」
ぎこちなくメディックの女性は巨乳ハンターの前へと進み出た。ほう、と、巨乳ハンターの片方の口の端があがる。
「いい覚悟だ。――その無謀(ゆうき)に免じて、懇切丁寧に美しく採ってやろう」
「この人には、指一本触れさせません」
言うやいなや、メディックの女性は斜め掛けしていた診療鞄から、注射器と布、アンプルとガーゼを取り出した!
「……え?」
思わず戸惑いの声をあげる巨乳ハンターを気にすることなく、滑らかな動きで自らの腕をむき出しにし、ひじの少し上に布を巻く。さらに返す手でガーゼで一拭き、アンプルの中身を吸い上げたかと思うと、一切の遅滞なき動作で腕に注射器をつきたてた。
彼女の所作に、ざわざわと野次馬たちが互いの顔を見合わせる。
「あのー、それはもしかして気まずいものなのでは……」
「猛き戦いの序曲っ!」
なーんだ、猛き戦いの序曲か。驚いたねー、びっくりしたねー、もしかしてヒロポンかと思っちゃったよねー、ちょ懐かしい単語聞いた、と。野次馬たちの動揺が静まっていく。静まらなかったのは巨乳ハンターだった。
「待て、ちょっと待て、なんでそれで納得する! 歌! 歌じゃないだろ!」
「効果が同じなら、細かいことは気にしないっ! 続いて、ヘヴィストライク!」
真新しく傷一つない杖を引き抜き、メディックの女性はそれを大きくふりかぶった!
「あらあら……」
巨乳ハンターがいた場所の背後――店の扉が無残に破壊された。ひんまがったちょうつがいに、かつて扉であったものの残骸がひっかかって揺れている。女将の未亡人が、おっとりとした口調でどうしましょうと呟きながら、素早く手元の紙片に被害額を計上しはじめた。
「続いて、ヘヴィストライク、ヘヴィストライク、ヘヴィストライク! さらにもう一つ、ヘヴィストライク!」
「くっ――!」
女性メディックが杖を振るたびに、豊かな胸がぶるんぶるんと揺れ、料理の乗った皿やグラス、さらにはテーブルが破壊音を響かせる。威勢良くパイ拓採取の宣言をした巨乳ハンターではあったが、女性のたおやかな外見からは想像もできないほどの勇猛果敢なさまに、防戦一方となっていた。
「ふわー、すっごーい。あれってもしかしなくても、ソードマンよか強いよね」
わたしもおぼえようかなー、と。ジュースのグラスを手に、飛び散る破壊の結果を器用に避けながら避難場所を探していたメディックの少女がひとりごちていた。
「くっそ、この大鹿……!」
「障害はすべて排除してこそ恋する乙女のカタルシスなのよ」
「カタストロフ引き起こしながら何を言っちょるか。ちゅーか、乙女とか自分でゆーな婚活女!」
「――ヘヴイイイイイィィィィィィストラーイクっ!」
広いとはいえない酒場は、すでに惨澹たるありさまだ。だが、店の主人がいるからか、それとも別の理由か。カウンター付近だけは被害が出ていない。
「……そろそろ諦めてはいかが?」
「そっちこそ肩で息をしてるくせに」
メディックの少女は一つだけあいている椅子をみつけ腰を下した。カウンターの上にはあいていないグラスがあるため、正確には空き椅子というわけではないだろう。だが、彼女は気にする様子もなく、自らのジュースを飲みほすと、ごちそうさまでしたーと女将にグラスを手渡した。
「兵士に引き渡すのだけは勘弁してあげようと思っていたんだけど……」
友人のソードマンの少女は、大量の肉まんは帰ってくるのだろうか、と。店の入り口を眺め思案していた少女は、傍らで一人のアルケミストが固唾を飲んで巨乳ハンター対メディックの女性の戦いを見守っていることに気づいた。少女は、ぽんと手を打った。
「ねえねえ、彼女とめなくていーの?」
少女が指さす先には、メディックの女性の一撃でふっとんだ椅子に頭を直撃された間抜けな冒険者がいる。アルケミストの男性は初めて少女に気がついたかのように、そちらを見た。
「あっ……!」
自業自得というべきか、床に転がった酒瓶をふみつけ、メディックの女性がバランスを崩す。期を逃さず、巨乳ハンターが距離を詰めた。襲いきた長剣を、メディックの女性が杖で受け止める。微かに震える腕に、巨乳ハンターは口の端を歪めた。
「ああっ、危ない!」
「アルケミストなんでしょ? 氷術の一発もかましたら頭冷えるんじゃない?」
拳を握るアルケミストに対し、他人事そのものといった表情で、少女が物騒な提案を行う。普段であればとんでもないと眉をつり上げるべきところだが、現状においてそれは悪くはない提案だった。いまさら壊れることを気にするべきものはほとんどなく、客はどうせ冒険者ばかり。頭を冷やせといったところで、とても聞くとは思えない。カースメーカーあたりにどうにか()してもらうのがいいのはもちろんだが、店内に独特のローブを身につけた彼らは見当たらない。まあ、彼らとてオフの時間も含めて同じ格好をしているかどうかは不明だが、この状態で手を出してきている誰かがいない以上、進んで力を行使するつもりの人間(カースメーカー)がいないと見ていいだろう。だとすれば、横合いからアルケミストの術でふっとばすのは、次悪程度には悪くない考えだ。
「……できない!」
くっ、と、苦しげにアルケミストは言った。メディックの少女は、首を傾げ、一度目を瞬かせた。
「僕にできるはずがないだろう……」
巨乳ハンターは、一度飛びのいた。態勢をたてなおし、肩で息をするメディックの女性に対し、これ見よがしに墨汁のビンを取り出してみせる。メディックの女性は、きっと巨乳ハンターを睨んだ。
「巨乳ちゃんたちを攻撃することなどできるはずがない! 世界の巨乳ちゃんはすべて僕の腕に飛び込んでくるべきなんだ!」
「うわあ最低」
ごつっ、と、冷静なメディックの少女のつっこみが炸裂する。ほんの一瞬目を見開いたかと思うと、どうとアルケミストは崩れ落ちた。え? と、つっこみを入れた方のメディックの少女が、自らの拳を見てぽかんと口を開いた。 あーあーいっけないんだー。アルケミスト紙装甲だからねー。ねー。と。周囲の野次馬の声に、メディックの少女は、うそと小さく呟く。
「――さん!」
小さな騒ぎに、自らの彼氏の様子を知ったメディックの女性が、声をあげカウンターを見る。床に横たわったアルケミストは、ぴくりとも動かない。
その瞬間、彼女の脳裏から、きれいさっぱり巨乳ハンターの姿というものは抜け落ちた。
もちろん、そのすきを逃すような巨乳ハンターではない。彼女の豊かなバストに対し、稲妻のごとき剣がひらめいた。
「――っ!」
ほんの一瞬、店内は水を打ったように静まり返る。そして。
「きゃああああああああ!」
絹を引き裂くような悲鳴がある。すばやく剣を収めた巨乳ハンターは、墨汁を手に座り込んでしまったメディックの女性にかけよる。だが。 服を引き下し、豊かなバストをまろび出させようとしていた巨乳ハンターの手が止まった。メディックの女性は、ぎゅっと胸のあたりを両腕でかばいながら巨乳ハンター(てき)を見上げている。
店内の野次馬、そして彼氏や女将。巨乳ハンター以外の人間は、誰一人として気づいていなかった。胸と腕の間から、レモンのような形をした何かが顔を出している。そして、大きなブラジャーのカップが押し上げるものをなくして、形を崩していた。
「……え?」
涙目の女性メディックが口を開きかける。それを制し、巨乳ハンターは彼女の肩にふわりとさらし布をかけた。
「……すまなかった」
その言葉と思いのほかやさしい手つきに、女性メディックはきゅっと唇を引き結ぶ。巨乳ハンターは、勢いよく半身を起こした。
「巨乳ハンターの敵は悪の巨乳のみ。彼氏と仲良くな……」
ぢぇいっ! と、姿勢をただすなり、巨乳ハンターは床を蹴り店の出口へと駆けた。ひゅーほほほほほほほほ! と、独特の笑い声だけが残る。異様なマスクの近辺にきらりと光るものを見たという人間もいたが、おそらく何かの見間違いだろう。
「巨乳ハンター……すごい乳だ」
「アンタほんっと最低だな」
カウンターのアルケミストは、いつのまにかすっくと立ち上がり、巨乳ハンターが去ったあとを遠い目で見つめていた。その後頭部に対し、復活すんなの一言とともに、メディックの少女の一撃が入る。
それに気づき、胸の詰め物を整え、さらしを巻き終えた女性メディックが彼の名を呼びながらカウンターに駆けよってくる。
「……かえろっと」
ひざまずき、彼の頭を抱えて、大丈夫? 今、治しますと献身的な白衣の天使を見下ろし、少女は肩をすくめた。ありがとうまた来てねの女将の声に手をふり、彼女は店を出ていく。それを見送った後、にこやかな女将は、先ほどから書きつけていた被害額の紙を、恋人たちに差し出した。
数日後、ソードマンの少女とメディックの少女が、すっかりきれいになった酒場のすみでテーブルについていた。大騒ぎだったんだよー、と。そう言ってきゃはきゃは笑うメディックの少女に頷きながら、ソードマンの少女はジュースのグラスを両手で抱え込んでいた。
一渡り、巨乳ハンター騒ぎについて語り終えたメディックの少女は、そういえばと言って、ぽんとてのひらを打ち合わせた。
「そういえば、あの例のアルケミスト、結局メディックのおねーさんとうまく行かなかったらしくってさー」
軽い調子の言葉に、ソードマンの少女は少し目を見開いた。そう、と、小さく呟くと複雑な表情でジュースに口をつける。
「うん。で、そんだけじゃなくてー、あの彼、巨乳好きこじらせたあげくにデブ專に走っちゃったらしいよー」
けほ、と、小さくソードマンの少女が、ジュースにむせる。まじ? と、小さな問いに、メディックの少女はマジ、おおマジと応え、豊かなおっぱいこそがなんとかと高らかに歌い上げてみせる。ジュースしか口にしていないとは思えないほどのノリだった。
「ぶは、それさいてー。何それカッコいいと思ってたのにー」
机をたたいて笑い転げるさまに、だよねーとグラス片手のメディックの少女が同意する。
「よかったじゃん、アレにひっかかんなくて。コレからは顔で選ぶのやめなよー」
「筋肉専に言われたくなーい。でも、デブ專て」
「全身豊かなら、ニセ乳はいないってゆーけどさー」
「間違ってないかも知んないけどさー」
「そこまで乳が好きかと」
最低、ないわと彼女たちは、けらけら笑い転げる。その横を、飲み物を自分のテーブルに運んでいる(パシリちゅう)のソードマンの少年が通りかかった。
「そりゃあガチガチの洗濯板よりは、柔らかくて抱きごこちがいい方えらぶんじゃね?」
「帰れ自家発電専門機」
そんな楽しそうなさまにかけられたちょっかいに対し、ソードマンの少女は一瞬にして笑顔を収めるとそう言いはなつ。少女の言葉に対し少年は、不思議そうに首を傾げた。帰れはもちろん理解できるが、その後の言葉が理解できなかったのだ。
「センズリこくしか能のないやつはさっさと帰れって意味だな」
少年は、少女たちの近くのテーブル――そこそこにものなれた様子の冒険者たちのテーブルに飲み物をおいた。その中から蜂蜜酒を受け取ったアルケミストの男が、そう解説する。もちろん、少女が騒ぎを起こした彼ではない。少年と同じギルドのアルケミストだ。
「な、な、なな……」
発電機を知ってるのか、大したもんだな、と。とろりとした琥珀色の液体に口をつけつつ、のんびりとそう口にするアルケミストの男。そして、一片たりとも彼に関心を残してはいないといった様子のソードマンの少女。それらを交互に見、ソードマンの少年は顔を上気させた。
「昼間っから何言ってんだよアンタら!」
一拍遅れてカウンターをくらいきゃんきゃん吠えるソードマンの少年の姿を、鼻息一つで無視し、ソードマンの少女は自らのグラスをあけた。
「かえろっか」
こんにちはー、おひさしぶりですー、と。そう言って、少年の属するギルドメンバーに対し手を振るメディックの少女に対し、ソードマンの少女がそう口にする。そだね、と。そう言って、メディックの少女も自分のグラスをあける。
そうやって、席を立とうとしたときのことだった。勢いよく酒場の扉が開く。先日の騒ぎを思い出したのか、メディックの少女が素早く立ち上がった。
だが。当然と言えば当然のことながら、あらわれたのはただの冒険者だった。たくましく日焼けした筋肉質の身体を持つ彼女は、パラディンかソードマンあたりだろうか。武器鎧を身につけていなくとも、その体形と身のこなしからして、冒険者、それも前衛職であることは間違いないだろう。 思い切りよく持ち上がった胸と、大きな尻を揺らしながら、彼女は女将のいるカウンターへと向かった。
「ふああ、プロポーションいいなぁ」
メディックの少女が感嘆の声をあげる。ソードマンの少女はぎゅっと唇をかんだ。
最近、世界樹へとやってきたんだとか、ここで仕事を受けられると聞いただとか。ある意味おきまりとも言えるやりとりをした後、彼女はそういえばと言った。
「この街って、鎧を特注できる工房ってあるの?」
無駄に声が大きい。普通の女ものだと胸が苦しくって、走るのに不便だとか何とか。世の中の女ものの鎧はどうしてあんなに小さいのだとか。女将が必要とする三倍くらいのことを言い募り、女性は豪快に笑った。 それがなきゃ女にみえねーんだろとか、そんな野次に対し、鍛えあげた結果だ、なんなら勝負してみるかと胸を張る女性。
「……?」
メディックの少女は、かたわらのソードマンの少女をうかがった。彼女の口元には、くっきりと怒りの梅干しが浮いている。
「乳のない戦士なんぞに、私は決して負けん!」
カウンターの女性が、そう大見得を切った瞬間、ソードマンの少女はかけ出した。戸惑うメディックの少女を残し、不気味な笑いを響かせつつ、ものすごい速度で店を出ていく。
がんばれ巨乳ハンター、負けるな巨乳ハンター、次の乳は筋肉だ。当分、エトリアに静かな日々が訪れる予定はない。
fin.