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TheCavesOfSteel

 今時、《転校生》で始まる物語なんて、パロディ以外のなにものでもない。曲がり角でパンをくわえてぶつかる相手なんてリアルをだれが期待する?
 高校というよりは、幼稚園の先生と言った方が相応しそうな雰囲気の担任に紹介されながら、転校生はそう考えていた。
 だから、自分は。目立たず静かに迅速に、ここ、新宿区天香学園高等学校で過ごす時間を切り抜ける。そう、目的は、明るく楽しい学園生活ではない。先ほど担任が口にした、早く日本の生活になれるなんてのは、もってのほかだ。自分には、目的がある。何をおいても達成すべきそれがある。だから。
 自分はラファエルでもないし、ヘルメスでもない。砂漠の賢者を気取るための相棒だっていない。ナイアルラトホテプを気取るくらいの勢いがいいだろうか。
 そうやって決意をあらたにしながら、《転校生》――いや、《宝捜し屋》こと、葉佩九龍、つまりおれは、とっときの笑みとともに、クラスメイトによろしくと言った。


「でね、こっちこっち。さすがに今はちょっと暑いけど、気持ちいい季節だと、人気のお弁当スポットなんだよ」
 小鳥のさえずりみたいだと思った。隣の席があいてますと自ら宣言した少女は、昼休みに入るやいなや校内の案内をかってで、おれのまわりをちょこまかしながら、ずっとしゃべり続けている。人なつっこく、活発なたちなのだろう。おれと彼女――八千穂明日香嬢では、たかだか学校内を散策していただけにもかかわらず、運動量が倍も違いそうだった。
 階下に比べ少し細くなった階段を、手を引かれて上る。
 しつけの悪い扉を、彼女はうんと力を込めてあけた。レディファーストの原則を口にする間もないくらいの、迅速な動作だった。
 建物の中の明るさに慣れた目に、中天に上った太陽の光が飛びこんでくる。
 目を慣らしながら、ゆっくりと天香学園の屋上に足を踏み入れた。
 まだまだ夏といっても通用するような、九月頭の日差しは、少しばかり強すぎる。だけど、東京のどまんなかとはいえ、緑に囲まれ、道路から離れた場所の空気は、肺に心地よかった。
「ほら、こっち」
 葉佩君、と。名前を呼ばれ、ゆっくりとフェンスに近づく。
「グランドに、温室に。それから、森があって――」
 ぐるりと、彼女の細い指が景色を指差す。
 高等学校にしては立派な温室が、緑の間できらりとガラスをきらめかせていた。さらには、街中にあってもおかしくないみたいな礼拝堂の十字架が見える。それらを取り囲む木々の濃い緑には、よわいを経た安定感があった。
 修道院めいたいかめしさと静けさの向うには、都庁の威容が浮かんでいる。金属とコンクリート、そして、プラスティック。現代工業の象徴みたいなその姿は、別世界が蜃気楼の向うに見えているみたいで、なんだかファンタスティックだった。そう、ここからほんの数キロ先にある新宿駅は、世界第一位の利用者数を誇っているのだ。きちがいじみた山手線のダイヤに、それをして捌ききれぬ通勤ラッシュ。速度と安定性のバランスで、世界的に評価の高い新幹線。地震大国ゆえトップクラスに並ぶことはないが、それでも世界有数の高層ビル街であるところの副都心。何もかもが、この学園の中にいる限りは、地球の裏側の飢餓ほどのリアルしかないかのようだった。
 いく筋かの雲をはいた青空は、日差しが強いとはいえ、さすがに秋の高さを感じる。おれは、大きく息を吸い込んだ。
「気持ちいいでしょう?」
 少し得意げに、クラスメイト――八千穂明日香が見上げてくる。おれは、大きく頷き、その後肯定の意思をはっきりと口にした。
「でしょでしょ? うん、よかったぁ、葉佩くんがそう言ってくれて」
 てのひらを打ち合わせる姿に、思わず笑みが浮かぶ。彼女には、いい意味で箱庭の住人らしい無邪気さがあった。ねがわくば、それが手荒に引きはがされることのないように、と。背中を向けて泉に硬貨を投げ込む真剣さで、おれは願った。
 ヒーリングツアーみたいな天香学園見学ツアーは、突然の闖入者によって終わりを告げた。少なくとも、おれはそう感じた。
「――うるせぇなぁ――。転校生ごときで大騒ぎしやがって。ったく、おめでたい女だぜ」
 不機嫌と揶揄のブレンドが、心地いい秋の空気を乱暴にかき回す。
 瞬間。素早く声に向き直る。
 気配なんてなかったはずだ。この屋上には。
「み、皆守クン! いたの?」
 驚いたような彼女の声を背で聞きながら、おれは、声をかけてきた男を観察した。
「いた。ったく、騒がしくて目が覚めちまった」
 よっと、と。けだるげなかけごえとともに、そいつは立ち上がった。
 なんてことのない動作だが、そのすきのなさに、思わず身体が緊張する。
「ごめんね。気づかなかったんだよー。……今日は皆守クンだけ?」
 そう言って、八千穂は改めて屋上を見回す。
 確かに、この屋上には、おれと八千穂、そして、先ほどから皆守と呼ばれている男だけがいた。
「ああ。この暑いのに屋上までやってこようなんて物好きは、おまえくらいだ」
「皆守クン、それ、自分をどこの棚においたの?」
 ポケットを探る皆守に、八千穂は言葉を続けた。
「わざわざっていうなら、皆守クンのほうこそ、先に来てたんじゃない」
「オマエと違って鍛えられてるからいいんだよ」
「何が?」
「いついかなる時でも、昼寝ができるように」
 自分の言葉に笑って、皆守はなにやら金属のパイプに火をつけた。
 すっとぼけたことばかり言っているが、先ほどから、まったくすきがない。ためしに、そっと殺気を放ってみたところ、奴の靴の下で砂が鳴った。
 たとえば、古えの神々すら手にかけることができるといわれている伝説の古武道を極めた存在。たとえば、道場にぎっしり詰まった有段者を、抜く手すら見せずに切り伏せる居合の達人。たとえば――上をみればきりがない。だが、おれとて腕っ節には自信がある。そのへんのひよっこの自衛隊員程度なら、肩ならしにもならない。
 侮れない。
 そして、不可解だ。
 彼のような存在が生徒――おそらくは、として、ごく当たり前のように在籍している。それは、ここが《秘宝》を抱いているという何よりの証拠なのか?
 いや。それよりも。
 この鼻眼鏡(みなかみ)と、何故八千穂明日香はあたりまえみたいに会話しているんだ。暑いだの寒いだのじゃなくて、つっこむところは、まずそっちじゃないのか。
「で?」
「で?」
 それぞれイントネーションと方向が違う。前者は皆守、後者は八千穂。前者はおれに向けられたもので、後者は皆守に向けられたものだった。
「転校生だろう?」
 名前は? と。そう尋ねる皆守に、八千穂は大きくため息をついた。
「朝、紹介があったよ。もー、またサボってたの?」
「ベッドが俺を放してくれなかったのさ」
 腰砕けの美声というやつか。ロゼッタの総務部の子にこんな声で囁いたなら、まるかいてちょんの上様伝票を段ボール箱いっぱい持参したって受け取ってもらえそうだ。
 だが。八千穂は、はぁ? と、素っ頓狂な声をあげている。――通じない女性もいるということか。一瞬、彼女に対する好意――一目おくの一つ手前程度の、やるな、とでもいったそれを感じかけた。だが、すぐに思い直す。まぁ、鼻眼鏡だしな。
「まったくもー、しょうがないんだから。ええとね」
 代わりに紹介してくれようとする八千穂を、おれは遮った。
「チャーリー・ブラウンです。よろしくお願いします」
 白い犬を相棒にしてなければいけないみたいな名前を名乗ってみる。ふぅん、そうか、と。当たり前みたいに、皆守は頷いた。
 会話は聞いていなかったのか? 屋上にあがってきてから、何度か彼女に名前を呼ばれているはずだけど。
 どちらの意味のきれものか。謎の鼻眼鏡を扱いかね、つぎはどうでるかと思考をめぐらしていると、制服の背中がひっぱられた。
「……は、葉佩くん……」
 ぐったりと疲れきった声だった。
「もう! 葉佩九龍くんだよ」
 べしっ、と、おれの背中を叩いて、八千穂が改めて紹介してくれた。
「なんだ、そうなのか」
 おかしいと思ってたとか、何て字を書くんだ? とか。当たり前みたいな声で尋ねてくる奴に、おれが言いたいことはただ一つ。
 おかしいと思ったなら、つっこめよ鼻眼鏡。
 くっ。正体が全く見えない。これは、鼻眼鏡が顔の半分を覆っているからじゃあないはずだ。
 ええと、と。そう言って、おれは奴のてのひらに、手を伸ばした。左手を選んだら、不自然な動作で、右に変えられた。パイプを持っていないほうに伸ばしたんだけど。
 左が嫌な理由があるのか?
 鼻眼鏡のおかげで表情の読めない顔を観察しながら、おれは、やつのてのひらに、一文字一文字、名前を書いてみせた。
「ふ、ん」
 指で書くにはいささか難しい漢字のはずだが、奴はあっさりわかったとうなずいた。その言葉が終わるか終わらないうちに、すばやく手が引っこんだ。
「俺は、皆守甲太郎だ」
「屋上のサボり魔大王」
「八千穂。何だその妙ちくりんなのは」
「ほんとのことじゃん。午後は雛先生なんだから、ちゃんと出なよ?」
「わかってるさ」
 そう言って、奴は肩をすくめた。そして。
 まっすぐにおれを見ながら、笑みを浮かべた。
 多分見てるんだろう。レンズが見事に白濁した鼻眼鏡だから、視線の方向がわからないが。まぁ、口元が笑みの形に歪んでいるという程度だが。
「よろしく頼む、《転校生》」
 こちらこそと頭を下げるおれに、奴は改めて右のてのひらを差し出した。握手か。
 友好的に挨拶を交わすおれたちの背後で、八千穂の素っ頓狂な声があがる。
「あ! 大変! 授業始まっちゃうよ!」
 急がなきゃ、と。そう言って、男二人を階段に押しやる八千穂に押されながら、おれは鼻眼鏡を観察していた。
 一体、コイツは何者なのか。
 そしてそれは、何の意味があるのか。
 そんなレンズで前が見えているのか。いやそれとも、目が不自由? そんなそぶりはなかったように思う。
 階段を下りる間に、おれたちはもう一度、八千穂の素っ頓狂な悲鳴を聞いた。
 教室にたどりつくまえに、授業が始まってしまったからだった。

fin.

2007-10-28 TheNakedSun&TheCavesOfSteel無料配布