ゆるゆると夜があけていく。息をするには濃密すぎる空気も、この時だけは適度になる。金属のパイプの先から立ち上る煙の向うに金星が見えている。薄紫の夜明けの中、それは頑ななまでに自己の存在を主張していた。まるで、おれにまとわりつく微笑みの幻想のように。
――いつか。いつか、わかるわ。
唇が何かを語っている。モノクロームの景色の中、それだけが淡く色づき、動く。いつか。そう。いつか、と。
おなじみのそれに、おれは目を細めた。星が歪む。はやく昼間に埋もれてしまえばいい。空が明るくなるとともに空気の濃度が上がり、息が詰まり始める。なぜこんなに、世界は密度が高い。なぜ。
瞬間、乱暴なノックの音がおれを我に返らせた。驚きは瞬時に非常識に対する怒りへと変わる。がちゃがちゃとノブがなり、間抜けな声が何度もおれの名を呼ばわる。扉を蹴ることで返答をすませると、何をどう変換したのか、声に喜色がはかれた。「黙れ何の用だ」「モーニングコーヒー」「夜遊びか」機械的に返しながら、扉を背にずるずると座り込む。幻の声が大きくなる。同時に、目覚まし時計みたいなヤツの声が現実を引き寄せる。なぜオマエは。いや。なぜおれはここにいるんだ? その時。
「ねぇ、中に入れてよ。こーちゃん」
呼吸が止まり、心の臓が脈をひとつとばした。
fin.
2008-02-18 SIESTAコレカ