「コタツを設置しましょう」
夷澤凍也は、限りなく真剣だった。どれくらい真剣かというと、昏い地の底で「オレのために死んでくださいよセンパイ」とか言ってた時と同じくらい真剣だった。
「ここに、ですか?」
神鳳充は首を傾げた。ここは、男子寮のプライベートルームでも、百歩譲って娯楽室でもない。新宿区天香学園の最高権力者たちが集う生徒会室だ。作業スペースは、どこにでもあるような平机とパイプ椅子の組み合わせでつくられている。それが、部屋のほぼ半分。残り半分には、革のソファを組み合わせた応接セットが設置されていた。金魚が泳ぐ立派な水槽はともかく、会長の定位置横にある武者鎧を捨てたいと思っているのは、多分、《生徒会》関係者ほぼ全員だろう。
どこにおくと言うのだろう。いや、そもそもなぜ生徒会室にコタツ。あまりふつりあいではないだろうか。
もしかすると、この後輩は、年末の騒ぎで滞り山をなす仕事を泊まりこみで片づけたいと言っているのか。いや、それならば彼のことだ、寝袋を勝手に持ち込むだろう。それ以前に。男子寮までは、いくら敷地が広いとはいえ、どこぞの大学のようにキロ単位の距離があるわけではない。人間としての効率を考えるならば、寮に帰ってベッドで寝た方がいいだろうし、夷澤もその程度の判断はできる人間だ。
ストレスで、どこかが切れたのではあるまいか。ここに設置するに決まってるじゃないですかと息巻く可愛い後輩を見ながら、神鳳はそう考えた。
「一体どうしたというのです夷澤。あなたがそう言うからには、何か考えがあってのこととは思いますが」
いくらなんでもおかしいのではないか、と。神鳳が最後まで言う前に、夷澤は胸をはってメガネを押し上げた。
「例のアレホイホイです」
例のアレ。いよいよ意味がわからないという顔をする神鳳に対し、夷澤は心底いやそうに顔をしかめた。
「眠いだのだるいだの、四六時中だらだらしくさってるくせに、逃げ足だけは早くて一向につかまらない。トイレにでも閉じこもってれば芳香剤の代わりの役くらいには立つんじゃないかと思うんすけど、なぜか人の神経さかなですることばっかり熱心なアレのことです」
なるほど、副会長のことか、と。あくまでアレ扱い、名前・役職を口にしようとしない夷澤の態度に、相性が悪いとは思っていたがそこまで嫌いだったかと、神鳳はいっそ感心しながらうなずいた。
「会議は来ない、仕事はしないのアレですが、ここにコタツがあれば、絶対にくると思うんすよ。あの性格っすからね。とにかく一回コタツに突っ込めば、ケツに根が生えたみたいに動かなくなるはずっす!」
幸い、オレは部屋にコタツがあるけど全然使ってないので提供します! と。拳を握って力説する夷澤に対し、神鳳は落ち着きなさいと声をかけた。
「皆守を呼ぶにはいい手だと思います」
「でしょう!」
今すぐ飛び出していきそうな夷澤に対し、神鳳は待ちなさいと再度強く言った。
「ですが、僕は反対です」
「何でっすか! 捕まえるにはいい手だって神鳳サンだって言ったじゃないっすか! 置く場所ですか! いいじゃないっすか応接セットと作業机をちょっとずらせば、小さいコタツくらいおけますよ!」
「違います。だから、落ち着きなさい夷澤」
この後輩は、頭の回転はいい。問題処理能力も、他の二年生に比べればずば抜けているだろう。だが。時折、重要な視点が見事なまでにすっぱ抜けることがある。今がまさにその時だった。
神鳳は、ことさらにゆっくりと言葉を選んだ。
「確かに皆守がここに来る率は上がるでしょう。ですがそれと、彼がここで仕事をするということはイコールで結べません。理解できますか? 夷澤」
夷澤は目を丸くし、言葉を失った。ヘッドライトの中に飛び出してきた猫みたいだった。
「……っ、くっ! ダメか……っ!」
続いて、がっくりと肩を落とす。明らかに自明ではないかと思いつつも、神鳳は気を落とさないでくださいと夷澤を慰めた。
しかしこれほどまでに夷澤がストレスをため込んでいるのならば、誰かが猫の首に鈴をつけるべきではないだろうかと考えたその時。笑いを含んだ声が、二人の間に割ってはいった。元凶だった。
「ほーう、残念だな。せっかく、少しはここも居心地がよくなるかと思ったんだが」
にやにやと笑いながら、皆守がアロマパイプ片手に生徒会室に入ってきた。彼が自主的にここに現れるとは一体何が起こったのかと、表情には出さずに神鳳は考えた。だが、すぐに謎が解ける。重厚な声が続いたからだ。
「……コタツが入ると、居心地がよくなるのか? おまえは」
「まぁな」
神鳳と夷澤は、姿勢をただし、軽く頭を下げる。それに対し、鷹揚にうなずいた阿門は、ふむと首を傾げた。
「夷澤」
静かに名前が呼ばれる。心の中で、神鳳は大きくため息をついた。
「阿門様は、皆守にほんっと甘すぎるわ」
きりきりとまなじりをつりあげ、双樹咲重は言った。その目線の先には、ぬくぬくとコタツに埋まり、あごを天板に乗せている皆守の姿がある。
「……妬くな」
にやりと笑い、視線だけを双樹に送る。ぎり、と、双樹は歯をくいしばった。
会長の鶴の一声で、応接セットは会長宅の倉庫に収まった。もともと会長宅の私物なのだから、特におかしなことではない。ついでに不気味な武者鎧をも片づけた神鳳の手腕は、夷澤と双樹に拍手喝采された。それはいい。それだけは、いい。だが。
代わりに設置されたコタツには、副会長がセットでついていた。
阿門がおそるおそるといった風情で、すすめられるままに座り、みかんをむいていたのは、とてもとても微笑ましい光景だった。結構いいだろうと尋ねる皆守の表情(かお)すらも可愛らしく見えたものだ。それが唯一、コタツを設置した後、得られた利益だった。それ以外は、何一つ役に立たなかった。
当初こそ、仕事をしなくとも、副会長がここにいるだけマシと夷澤は考えていたようだ。そこにいれば、はいいいえくらいの意思表示はするだろう。副会長のサインをもらうために、学校中をかけまわる必要はなくなる。もしかしたら、ファイリングの一つも手伝ってくれるかもしれない。そう考えたらしく、コタツの準備に関しては、当初の提案通り私物も提供したし、比較的機嫌よく動いていた。だが、それはあまりに甘い推測だと知るのに、三日と必要としなかった。
神鳳の言葉は全面的に正しかった。いや、正しいどころではない。それ以上だった。――もっとも神鳳も、会長が現れなければここまで解説していたかもしれない。
他人が仕事をしているのを後目に寝ている。起こしても起きない。周りが散らかる。巣ができる。
いるだけで邪魔。そんな存在があったものかと。
「神鳳さん」
完全に夷澤の目つきはすわっていた。こめかみには、阿門帝等もかくやといった青筋がういている。
「コタツを撤去しましょう」
岩をこすりあわせるような声に、皆守の呑気な笑い声が重なる。どうやら、どこかから仕入れてきた週刊少年マンガ誌を眺めているらしい。
ぶつり、と。神鳳は確かにその音を聞いた。
勢いよく夷澤が振り返り、皆守に詰めよる。双樹はすでに匂い袋を構えていた。それらの姿をみながら、数分後に計上されるであろう被害総額を予測する。
もう誰にも止められない。
とりあえず、表計算ソフトを使って行っていた現作業を保存し、ノートパソコンを閉じることにした。
fin.
「諸悪の根源もしくは天国に一番近い場所」(2008年HARUコミ配布)より