パイレーツの独白1
頼みの綱のウォリアーが悲鳴一つあげずに崩れ落ちるのを視界の端で捉え、おれは口元を歪めた。これで三人。残るは、かよわきパイレーツのおれと、もっとかよわいゾディアックの二人か。
灼熱の階層の中、黄金色に鱗をきらめかせた竜にじりじりと追い詰められ、ごらんのありさまだ。あああのとき、仔竜に手を出したりしなければ、母竜が現れた瞬間全力で逃げ出していたなら。まさに絶体絶命の危機のさなか、残る悔いは山ほどある。だが、覆水は盆に返らず、こぼしたミルクをすするのは何のプレイだ? そう、過去の時点でどんなに選択肢があったとて、現在は今の材料でどうにかするしかない。
希望的観測の材料を探すとすれば、目の前の黄金の竜が首からだくだくと血を流していることだろう。どんよりとまくがはったような目は、彼女の命が尽きようとしていることを示している。ただ――そんな状態でなおというべきか、そんな状態だからこそというべきか。彼女はおれたちを始末する気を失ってなどいなかった。むしろ、相打ち上等でその鋭い爪をうごめかせている。ああ、悪い材料になっちまった。
コイツら全部放ってケツまくって逃げるってのもありなんだけどね。一度やったら後は二度も三度も同じこと。貧乏暮らしで蓄えはないが、船とウォリアーが作ったつてがあればなんとかなるだろうさ。おれは、手脂ですべりそうになる細剣を握り直し、ちらりと背後を見た。
小さな子供(ゾディアック)が、肩で息をしている。なんとまぁ悪い顔色だ。きゅっと引き結んだ唇すら白い。さらには――硫黄の臭いで鼻が曲がりそうなこの場所にもかかわらず、はっきりと血臭がわかる。現在、ゾディアックの足首はあらぬ方向を向いていて、その下には血溜りができているのだ。
「――アンタが頼りだ」
おれもやきがまわったもんだ。ああ、遠い未来、よいよいの爺さんになってから、キレイなおねいちゃんたちに囲まれたショックでぽっくりいくはずだったんだがなぁ。まあいいか、丘で死ぬもまた一興。船をなくした(ぜんかもちの)パイレーツにはおにあいってやつだろう。
青ざめた顔でにこりとわらうゾディアックの覚悟に頭を垂れ、おれは姿勢を低くした。こんな表情(かお)を見せられたなら、まとめて見捨てるなんてできるはずもない。せめて、物は相談ケツまくって逃げねぇかって言いたいんだけどなぁ。ダメ? 聞くまでもない。
あの爪、あの焔。どちらにしても、ゾディアックには致命傷だ。いや、おれも死ぬけど。
大きな動作とわざとらしい声で竜を呼ばわりながら、おれはじりじりとゾディアックから離れた。
「ちっ……」
どんよりと濁った母竜の目は動かなかった。彼女が息絶えた証拠であればどんなにいいか。最後の命のきらめきが感覚をとぎすませているのだろう。大声の向うにある、隠しようのないわるだくみが、彼女にははっきりとわかっている。
仕方がない。おれは、細剣をかまえ、足音を立てずに母竜へと踏み出した。目が、こちらを見る。うわあ、こんなに暑いのに背筋まで凍るね。鋭い爪を十二分に意識しながら、おれはヤツが負っている致命傷へと切っ先をつきだした。ヤツは、幾分か鈍い動作で身をそらせた。体長の都合から、ヤツが思い切り身体を起こしている状態で、首を狙うのは無理だ。普段ならば深追いはしないところだが、今回はそうもいかない。さらに一歩二歩と踏み込み、丈夫な鱗がはがれているところを狙う。一撃目は、鱗の上を滑った。次は抉った。ぴゅうとふきだす血ににやりとするまもなく、おれは横殴りの衝撃にふっとんでいた。
爪にばかり注意がいっていた。力尽きようとしている母竜のこと。動くとすればそこだと思っていた。だが。
勢い良くふられた尻尾で、おれはヤツのそばから吹っ飛ばされた。頭が真っ白にスパークし、次の瞬間、全身を黄金の川に焼かれる。身体をおこし、上着を捨てることができたのは、まさに火事場の何とやらだ。そのまま倒れていたら、生きながらにしてローストされたあげく、骨も残さず世界樹にのみこまれていただろう。
幸運を感謝している暇はない。ヤツは身体をふった勢いのままに、ゾディアックに爪をふりおろそうとしていた。おれは全身の悲鳴を無視し、床を蹴る。意識ばかりが先へいこうとしているのか、バランスが崩れた。
恐れ気もなく澄んだ眼差しで、自らを殺そうとする魔物を見ているゾディアックの表情が、やけにはっきりと見える。すい、と、子供はちいさなてのひらをもちあげた。ダメだ、避けろ!
ムリだとわかっていながらも、おれはそう念じた。ゾディアックの唇が動くのが、やけにゆっくりと見える。距離が遠すぎる! もっとも、おれがぶちあたったところで、でっかい母竜が微動だにするとも思えないのだけど。それでも、爪の方向を変化させることくらいできるかもしれない。
空気が揺れた。ゾディアックの側頭部からぱっと血が散る。小柄な身体がふっとんだ。だが、てのひらはそれでも母竜の方を向いている。これで終わったか、と。思った瞬間、人の頭ほどもあるような岩が母竜を直撃する。悲痛な叫び声が上がったかと思うと、大きな体躯がくずおれた。二撃、三撃、と。どこからともなく――いや、ゾディアックが天上より呼び寄せた大岩が母竜を打ち据える。おれは、勢いのままに母竜に向かった。岩の間を潜り抜け――当たらなかったのはただの幸運と言ってもいい――がむしゃらに、黄金色の鱗を目指す。
自分が声をあげていることに気づいたのは後からだった。思い切り、すでについている致命傷に細剣をつきたて、引く。ぶちぶちといろいろなものが切れる手ごたえと、剣がしなる感触。ああ、コレはまずいな、と。思いながら、剣を引き抜き、竜の身体を蹴り、離れた。
近隣には大岩がごろごろとしている。一度大きく痙攣したかと思うと、小山のような母竜の身体は、動く力をなくした。
*
さすがに、へたりこんで呼吸を整える間というのが必要だった。何もこないでくれと、常になく願いながら、おれはただ大きく肩で息をする。どこが原因とも言えぬほどの激しい痛みと脱力感に、くっついてしまいそうになるまぶたを、必死でひっぺがした。
飲み込んだ唾の鉄錆の味わいに顔をしかめ、まるで百歳の老婆になった気分で身体を起こす。いざって行きたくなる気持ちを見栄だけで押さえつけ、おれはぶるぶると震える腿を支え立ち上がった。戦いのさなかに放り出した荷物のもとに行き、中身をあさる。
ここ最近の行程の具合故だろう。人数分以上のアムリタが丁寧に束ねられて、荷物のすみに場所をしめていた。メディカも十分にある。ほっと息をつき、おれはそれらを取り出した。取り出した次の瞬間、表情がひきつるのがわかった。ごくりと喉を鳴らす。冷たい汗が背筋を伝った。
それはそれとして。今回の最大の功労者――ゾディアックから順番に薬を使いはじめる。さすがにすぐにとは言えぬものの、やがて互いの無事を喜んで肩をたたきあうことができるようになった。
そんな中、おれはそろそろとウォリアーに近づいた。そして。
「はーい、ご歓談の中ですけどーみなさん注目ー」
注目注目、と。がっしりとウォリアーの肩を掴んで、おれはてのひらをひらひらとふった。
なんだどうした、と。皆が首をかしげるのを確認し、おれはほんの少し上にあるウォリアーの顔を見上げた。
「ここで残念なお知らせがありマス」
いいかなー、みんなー、と。わざとらしいまでの猫撫で声でおれはそう言った。その手の冗長さを好かないウォリアーの眉が寄る。
「一体なんだ」
全員が助かったとはいえ、一刻も早く街へと戻らなくてはいけないんだぞ。おふざけのヒマなんかあると思っているのか、と。はいはい。パパの言いたいことはわかりまちゅよー。
「糸がありません!」
誰かさん買い忘れてます! と。高らかにおれはそう宣言し、ウォリアーの肩を掴む手に力をいれた。ぽかん、と。面白いくらいに、皆の表情が虚をつかれたものになる。ああうん、ボクもさっきそういう気分だったよ!
最初に我に返ったのはファランクスだった。
「何だと! おい、この前の買い物に行く前に、さんざ確かめただろうが!」
普段の相性の悪さもあるのだろう。憤然とウォリアーの前に進み出、胸ぐらを掴む。
「何回目だよアンタ」
肩を掴んだまま、低い声でおれが言う。ひくり、と、ウォリアーのほほがひきつった。普段は用心深いプロフェッショナルのクセに、どうしてこう時々すっぱぬけるみたいなどじっ子するかなこの男は危なっかしい。
「そうだ何回目だ! この前忘れてから三日とあけてないだろうが!」
「み、皆さん落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!」
「お、おまえらだっていただろうがあの時」
「財布握ってんのアンタだよにぃ。確認しようかっつったよぉ? おれ」
「ばーかっ!」
「もう一回母竜に頭殴られて来い! そしたら少しはものわすれもマシになるんじゃないのかこの犯罪者!」
「待て、その犯罪者というのは今は関係がないだろう!」
「子供をさらった挙句、危機にさらすとは何事だ!」
「勝手についてきたんだと何回言えばわかる!」
「貴様のような犯罪者面についてくる子供がどこにいるかぁっ!」
「だ、だから、落ち、落ち着いてください皆さん!」
うんうん。今から徒歩だよぉ。歩くだけでも大変な距離だよねー、もう勘弁してってカンジ。心一つになっちゃうよねー……って、あれ? なんか、聞きなれない声が混じってたよーな気がするなぁ。まぁいいか。
ファランクスにガンガン責められているウォリアーの姿に、いくらか溜飲をさげたところで、おれは小さく袖を引かれたことに気づいた。
「ん?」
そちらを見ると、荷物にひきずられてるみたいなゾディアックがいた。子供は、よいしょと荷物袋を開くと、何本かの薬ビンをとりだしてみせる。ああ、うん。知ってるよん。ありがとさん。
おれは、ネクタルの小ビンを持つゾディアックの頭をわしわしとなでると、皆の様子を確かめる。何やってるんだオマエはから始まったあと、いろいろ転がってナイフフォークの使い方にまで発展していたファランクスの怒鳴り声はいつのまにかやんでいた。現在は、どこか腰が引けてるウォリアーをきつい目で睨みつけているのみだ。そんな二人を、プリンスがおろおろと見守っていた。
再度おれは皆の注目を引いた。
「ま、用心しぃしぃ帰ろうや。魔物を見かけたら即座に逃げる勢いで」
顔の高さでネクタルの小ビンをふりながら、おれはそう言ってウインクをする。
「……異存はない」
一拍おいたウォリアーの返答と無言のファランクスの肯定に、プリンスがほっとした表情で肩の力を抜いた。
*
地図を広げ帰り道を確認する。来た道こそかなりのものだったが、実のところ、別フロアへ至る近道があることに気づき、皆は表情を緩めた。ま、アムリタもネクタルも限りはあるし。……街に戻ったら、当分迷宮探索はお預けか。例のコワいアンドロになるべく会わないようにしよう、うん。深王たまは王族だからかまだどっかおっとりしてるけど、あっちはもう容赦がないったら。
焔の河をわたる小舟の上で、おれはそんなことを考えつつ、進行方向を見守っていた。って、おいコラちょっと待てそこのドジっ子! てへゴメンが許されんのはどう頑張ってもプリンスまでだろうが!
震える手でおれは進行方向をさした。ファランクスが気づき、目を細める。不思議そうに、プリンスがおれの顔を見ている。ゾディアックが小鳥の声みたいな悲鳴とともに、ウォリアーに抱きついた。
「……オイ。あんた今日マジでぼけてるんちゃうか!」
声を抑え、おれはウォリアーの胸ぐらを掴んだ。今度はファランクスが肩を掴む番だ。静かに、と。ウォリアーが低く言う。だから怒鳴ってないだろーが!
じりじりと近づく対岸には、何やら小山のような物体がいて通路をふさいでいる。
「大丈夫! 大丈夫だ静かに!」
幾分か大きな声でウォリアーが恐怖にひきつる皆をなだめようとする。おれはあわててヤツの口をふさいだ。いやわかってる、わかっているけどさ!
不自由な態勢で、ウォリアーは地図を取り出した。そして、ぶるぶる震える手で何やら書き込んでいる。ああうん、しっかり書いとこうね!
まるで死刑執行用のロープに近づく役人を見てるみたいな気分で、おれたちはつかまるものもない小舟の上で身体をかたくしていた。泣いても喚いても寝てても笑ってても、舟はやがて対岸へとたどりつく。不安定な足場の上、おれたちは息をのんだ。
通路をふさぐ金色の竜の身体は、平和に上下している。びゅうびゅういう寝息が乱れる気配もなかった。
ウォリアーが、おれとファランクスに対し、放すようにとジェスチャーで告げる。おれたちは手を放した。そろそろ、そろそろと彼は岸へと足をついた。瞬間、竜の寝息が止まり、おれたちは総毛だつ。
だが。ほんの少しだけしっぽを動かし、大きめに身体が動いたかと思うと、再度規則的な寝息がもどってくる。……連中も寝返り打つんだなぁ。
よいせ! と。ウォリアーが岸を蹴った。すると、まるで磁石にでもひかれてるみたいに、舟が元の場所へと動き出す。すこしずつ、竜の身体が小さくなっていく。おれたちは大きく息をつき、めいめい小舟の上にへたりこんだ。
「……勘弁してくれよ今度こそ」
改めて地図を開いているウォリアーを眺めながら、おれはそうひとりごちた。おーおー、微妙にいつもよか背中丸めてるにぃ。あせんじゃねーぞ。ま、若造じゃああるまいし、それはないだろうけど。
さて。もう一回深呼吸したら、ヤツの出してくるルートをチェックしますかね。なんていうか。――第二の人生(ふね)の選択、失敗しちゃったかにぃ。
fin.