じゃんけんに負けていた葉佩九龍は、不機嫌に二人――緋勇龍麻と皆守甲太郎を睨みつけた。とはいえ。それが事態の解決になるわけではない。むしろ、そういった手法をとりたかったのなら、三十分前なり、十五分前なりにとるべきだっただろう。
シティホテルの最上階、広大なスイートルームの、巨大なベッドの上。リラックスできる穏やかな明かりの中で、皆守は興味なさげに転がっていて、緋勇は正体不明の笑みを浮かべて座っている。
「俺がいない間に勝手に始めるなよ!」
ぎりと奥歯を食い縛り、緋勇を指さして葉佩はわめいた。はいはいと誠意のない答えと、とっとといけと言わんばかりのゼスチャーがあった。もう一声何か、と。葉佩は口を開きかけたが、やめた。自分が風呂に入ってこない限りは、ベッドの上でいちゃいちゃなど許されるはずもない。緋勇というよりは、主に皆守についての理解だった。
足音高くバスルームへと姿を消す葉佩を、緋勇はにこにこと見送った。皆守は、後ろ姿にちらりとも目線をやらず、一つあくびをする。
荒々しく扉を閉める音が響いた。
そして。
葉佩が姿を消したところで、ごく当たり前のように、緋勇は皆守に覆い被さった。
*
「……いいのか?」
スプリングの動きに目を細めながら、皆守はそう言った。葉佩の言葉に従うべきだと促していると言うよりは、眠いから邪魔をするな、と、そう言っているように見える。
「皆守くん、九ちゃんが帰ってくる前に寝るでしょ」
皆守は、口元を歪めた。そして、喉を鳴らす猫のような表情で、緋勇の首に腕を回す。引き寄せられるより早く、緋勇は皆守の唇を塞いだ。
密やかな水音に、甘い吐息が絡む。片方の膝が立てられたところで、緋勇は本格的に皆守の上に乗った。
「どうせ脱ぐのにって考えると、どう見ても非効率的」
皆守がほんの数分前に着たばかりのファイヤープリントのTシャツをまくりあげながら、緋勇は生真面目な口調で言った。されるがままにシャツから首を抜きながら、皆守は笑う。
「裸族生活は一人でやるもんだろ」
「世の中には露出調教ってやつもあるんだけどね」
「見苦しい」
半端に残されたTシャツから腕を抜こうとしながら、皆守は小さく息をのんだ。緋勇からのコメントはない。単純に、口が塞がっているからだ。
まるで葉佩が帰ってくる前にと焦っているかのようだった。最小限だけ皆守のトランクスを引きずりおろし、下肢に舌を這わせる。素直な反応を示したものを、躊躇することなく口に含み緩く吸った。
Tシャツは未だ皆守の腕を拘束していた。緋勇がもたらす感覚故か、それとも不自由な体勢でシャツを脱ごうとしているからか。しなやかな筋肉が、滑らかな皮膚の下にくっきりと浮かび上がる。
「……ひゆう」
何度も唇を湿しながらのそれは、やけに甘く、幼く響いた。ぐいと膝のあたりまでトランクスを引きおろし、緋勇は顔をあげる。両の腕と脚を中途半端に戒められた状態で、皆守は緋勇を見返した。獲物を捉えた四足獣のように、緋勇のてのひらが皆守の腕に残るTシャツを押さえつける。片方の膝は、引きおろしたトランクスを踏みつけていた。わざとらしく唇を舐めると、微かに皆守の目元に朱が差した。
「無駄も使いよう、かな」
「バカか」
緋勇の言葉に対する皆守の反応はにべもない。だが、開いた唇からせわしなく漏れる吐息や、上気した目元、なによりも立ち上がったものが、皆守の状態を如実に表している。
素直に濡れたカリ首をもたげるものを、緋勇は太股でなぶった。ひくりと皆守の頬がひきつる。
シャツを抑えているのとは反対のてのひらで、頬をくすぐった。頬骨のあたりから鼻、耳孔まで、気まぐれに指先を滑らせた。
皆守はくすぐったそうに顔を歪めると、口元のあたりにさまよってきた指を、唇で捉えた。いささかわざとらしいほどの驚きの表情を浮かべる緋勇を見上げた後、目を伏せ、捉えた指を吸う。
舌を伸ばし、指の根元を舐める。上あごと舌で挟んだ指を、唇で刺激しながら吸い、歯を立てた。
「誘われた」
足りない? と。捉えられた指を引きながら、緋勇は唇を寄せた。舌を出し、唇が触れるか触れないかの位置から、皆守の口腔に侵入をはかる。舌先を触れ合わせながら、濡れた指先を首筋になすった。皆守の顎があがり、不自由な体勢でながらも微妙に腰が動く。満足げに軽いキスを落としながら、緋勇は皆守の細い腰を掴むようにして抑えた。
「後ろと前、どっちに欲しい?」
「オマエな」
「両方? それとも」
「言ってるそばから始めてんじゃねぇこの性獣」
あともう少しかかると思ってたんだけどなーと。驚いた様子も見せずに、緋勇は身体を起こした。そして、全身ずぶぬれ、バスタオルだけを腰にまいて、部屋の入り口で二人を睨みつける葉佩に笑いかける。
緩慢な動作で、皆守もまた葉佩を見た。そして、眉を寄せた。
「――髪くらいかわかしてこい」
「って、こーちゃん」
床に水の跡をつけながら、葉佩はベッドに近づいた。そして、ポタポタと水滴が垂れるがままの状態で、二人の間に割って入ろうとする。だが、その努力は、皆守によってすげなく払われた。
「つーか、まだ泡ついてるし」
呆れた口調で緋勇は葉佩の髪に手を伸ばした。それが触れるか触れないかのうちに、葉佩は強くその手を叩く。
実際にはかすりもしなかったにもかかわらず、緋勇はふっと自らの手の甲を吹いた。
「九ちゃん」
一音一音区切るように、皆守は低い声で言った。
「しっかり流して、身体を拭いて、髪も乾かしてから来い」
風邪を引くだろう、と。眉を寄せて葉佩を睨みつける皆守の口調には、先ほどまで緋勇に見せていた甘さはかけらもない。
葉佩は口を開きかけ、閉じた。そして、飼い主に叱られた大型犬みたいな表情で、こーちゃん、と、弱々しく口にする。
皆守は黙って顎をしゃくった。
「バカだね。一緒に入ろうって言えばよかったのに」
「アンタついてくるだろうが!」
緋勇の茶々に、葉佩は勢いよく中指を立てた。恐れるふうもなく、緋勇は当然だろうとけらけら笑う。
「九ちゃん」
「……はい」
さらに言い募ろうとする葉佩を、皆守の低い声が押さえつけた。
しぶしぶと葉佩は身体を引く。
エアコンの効いた室内は、湿度が低い。髪はともかくとして、葉佩の身体の方はずいぶんと乾き始めていた。
だが。
皆守は無言でバスルームを指している。葉佩は頷いた。そして、しょぼしょぼと未練たっぷりの足取りで、指された方へと足を向ける。それを確認してから、皆守は緋勇へと腕を伸ばした。
ん? と。緋勇は促された通りに皆守を引き寄せる。
必要以上にゆっくり歩いていた葉佩は、まだ、バスルームの扉を閉めていなかった。
濃厚な口付けを交わす姿を、畜生おぼえてろと負け犬の遠吠えが祝福した。
*
坊主頭なら、乾かす必要もなかったか、と。湿り気をのこしつつも水滴が垂れない程度まで乾かしたところで、葉佩はバスルームを飛び出した。腰にタオルを巻くのも半ば省略し、ベッドへと向かう。どんな状態であってもひっぺがす勢いという程度に頭に血が上っていた。が、二人の姿が視界に入った瞬間、一部だけでなく全身が硬直した。
「……な」
葉佩の反応に、緋勇はしてやったりとばかりに口元を歪める。一拍おいて、ぽかんと葉佩の口が開き、瞬間湯沸し機もかくやの勢いで、顔が紅潮した。
皆守はベッドの上で身体をおこしていた。緋勇が背後からそれを支えている。皆守は緋勇の首筋に顔を埋めることによって、葉佩の方から顔をそらしていた。表情は見えない。だが、紅潮した全身に汗の玉が浮く様は、顔が見えないことによって、より淫わいさを増すかのようだった。
見せつけるように開かせた脚の間で、緋勇のてのひらは、今にもはちきれそうにたちあがった皆守のものをなぶっている。粘液に濡れるさまが、恐ろしく生々しかった。
「ちゃんと、待っててあげたよ」
かぷりと、緋勇は皆守の首筋に歯を立てた。そして、少し身体を引く。背後に身体を預けていた皆守は、そのまま身体の角度を変える。より腰をつきだす姿勢になったところで、緋勇は脚を開かせていた方の手を、皆守の奥まったところに滑らせた。
「ね、九ちゃん」
チェシャ猫みたいな笑みを浮かべ、緋勇は人差し指と薬指で左右に引っ張るようにしながら、中指で皆守の後孔を撫でる。何かを求めるみたいに、ひくりとそこがうごめいた。
「ちゃんと、皆守くん我慢したしね」
「……」
皆守の首の筋が浮かんだかと思うと、緋勇は小さく痛いと言った。葉佩からは見えない位置で、緋勇に歯を立てたらしい。
ここまできて、やっと葉佩は我にかえった。大急ぎでベッドに近づき、皆守の脇に手をつき、のぞきこむ。大丈夫? の声に、皆守はちらりと葉佩に視線をやった。あさましく、わかりやすく、葉佩の喉がごくりと鳴る。皆守の肩が動く。腕をあげようとしたのだろう。だが、果たせなかった。
「ほら、折角食べごろにまでしといてあげたんだから」
「やりすぎだろアンタ!」
にちゃりといやらしい粘液質の音をたて、緋勇は皆守のものを優しく撫でた。
はちきれんばかりの様子を見せながらも、けして白濁を吐き出すことはない。ただ、たらたらと先走りを滴らせるばかりだ。もちろん、皆守の意思の力ではない。根元が、タイラップできつく戒められているためだった。
「……九、ちゃん」
かすれた声が、葉佩の名を呼ぶ。艶というにも不足というべき様だった。
「さて」
皆守のものを放した緋勇の手に、魔法のようにカッターナイフが現れた。あらかじめ、枕元に用意しておいたのだろう。ついさっきパッケージをあけたみたいな新しさだった。
「九ちゃんも来たことだし、開封しようか」
笑いを含んだ声に、きちきち、きちきちとカッターナイフ独特の刃音が絡む。支えもないのに空をさしている皆守のものが、大きく揺れた。
後孔を撫で、たちあがるものに移動しようとする緋勇の手を、葉佩は反射的な動作で抑えた。
おやと片方の眉をあげ、緋勇は葉佩を見た。きち、と、一つだけ刃が出た音を最後に、安っぽい音が止まる。
「あ、ぶない……だろ」
不自然に腰を折った姿勢で、葉佩は途切れ途切れに言った。そして、ごくりと喉を鳴らしながら、苦しそうに揺れるものに視線を落とす。心配と、欲情。それらが、わかちがたくブレンドされた表情だった。
ゆらり、と。皆守の目が揺れたように見えた。生理的な涙故だった。
緋勇は、皆守に頬ずりをするみたいにして促した。わかりやすく、葉佩の眉が寄る。面白そうな吐息を漏らした後、緋勇は皆守の唇を塞いだ。舌が絡み合う様が見える、濃厚な口付けだった。
流し込まれた唾液を受け入れているのだろう。こくりと皆守の喉が動く。我慢できないとばかりに、葉佩の唇が、皆守の喉ぼとけのあたりに吸いついた。
小さく皆守がもがいた。あっさりと緋勇は唇を離す。そして、親指でこぼれた唾液を拭いながら、皆守の顔をのぞきこんだ。
葉佩が顔をあげ、皆守の唇を求めた。だが、軽く触れただけで、顔をそらされる。
「皆守くんは、どうしたい?」
素早く、緋勇の指が皆守のものをはじいて尋ねた。あ、と。皆守の口唇から、悦楽とも苦痛とも取れぬ声が漏れる。
触れて撫でさすることで、皆守の苦痛が増すとわかっているのだろう。葉佩はただ、固唾を飲んで皆守の応えを待った。
「……出、した、い……」
ひどく聞き取りにくい声だった。だが、緋勇は聞きかえすことなく、ただ了解と頷き、再度カッターナイフを握り直した。
「こーちゃん」
心配そうに、葉佩は皆守を見守っている。その視界に、安っぽい刃が割り込んだ。
葉佩の視線が、刃と持ち主の間を往復する。ぎゅっと眉が寄った。
てのひらが伸びる。カッターナイフを取ろうとした葉佩から、緋勇は大げさなほどに遠く、それを遠ざけた。
「抑えて」
カッターが、遠くから皆守の股間を指す。葉佩は見下ろした。苦しげに揺れ、粘液をにじませているそれは、なえる気配がない。
くるくると器用に、緋勇はカッターナイフを指で回していた。刃は出たままだった。
「ごめん、こーちゃん」
気をつけろと不平のにじんだ声で緋勇に言い放ち、葉佩は皆守のものを握り、固定した。
小さく笑い、緋勇はカッターナイフを戒めへと近づけた。
「感じてるの?」
葉佩のてのひらの中、皆守のものが揺れる気配に、緋勇は面白そうに言った。瞬間、皆守の身体が硬直し、内腿が赤く染まる。葉佩は、手に力を込めた。
ゆっくりと、刃が蛍光色の戒めの上を滑る。
タイラップは、見かけ以上に加重に対して強い。輪になっている状態をただがむしゃらに引っ張っても、手を痛める方が先だろう。それほどに緩みにくい。一度戒めたならば、事実上、切断するしかないのだ。
今現在、皆守のものと戒めの間に、刃を差し込むすきまはない。内側から外側に向かって、てこの原理で力を込める線は消えた。
だが、単純に外側から切断しようと力を込めれば、勢い余った刃が、戒めを切ったついでに、皆守の足の付け根、下手をすれば性器につきささるだろう。
そっと、緋勇は刃を引く。そよ風のようなやさしさは、ナイロンの結束具の上に、毛一筋ほどの傷をもつけたように見えなかった。
少し力を入れるよと宣言すると、目に見えて皆守の身体が震える。小さく笑うと、葉佩は先ほどよりは力を込め、刃を操った。
丁寧に丁寧に、刃を動かす。まるで何時間ものあいだそうしていたみたいだった。時折、葉佩のてのひらの下で、熱い感触が動く。少しずつ、刃の下の傷が大きくなった。
やがて。固唾を飲んで見守る葉佩の視界の中、蛍光色がはじける。同時に、皆守の胸が大きく波うった。緋勇のたくましい脚に、皆守のゆびさきが食い込んだ。
呼吸に合わせ、どろどろと先端から白濁があふれる。拘束で感覚がおかしくなっているのか、勢いよく噴き出すことはない。葉佩のてのひらの下で、それは別の生き物のようにうごめき、皆守の脚の付け根に粘液を溜まらせた。
緋勇のゆびさきが、皆守のものの根元をこすった。形のいいつめの先に、朱がにじむ。そして、ああやっぱり切れたかと、他人事みたいに言う。
魅入られたみたいに粘液が脚の外側を落ちていく様を注視していた葉佩は、その声にあわてて先ほどカッターがあてられていた根元をみる。
「貴様」
「消毒」
血のついた指先を舐め、緋勇は葉佩に顎をしゃくった。そして、両の手で、さらに大きく皆守の脚を広げさせる。
「待てよ」
ほら、と。そう促す様に、葉佩は抗議した。だが、口先だけのように見えた。
射精は止まっている。小刻みに震える脚は、力をなくしているようだ。荒い呼吸は落ち着きつつある。
「九ちゃん?」
緋勇の声に、ぎゅっと葉佩は眉を寄せた。そして、アンタに九ちゃんと呼ばれるすじあいはないと言い放ってから、示された場所へと唇を寄せる。つきだした舌が、みっともなく震えていた。
ざらざらとした茂みの感触。そして、汗の塩分と、精液の苦み。その中に、鉄錆の甘さが混じる。
最初は、その場所に顔を近づけるため、葉佩は皆守のものを抑えていた。だがやがて、ゆびさきがおずおずと絡みはじめる。慎重に触れていたはずの舌先も、竿から袋、やがては後孔へと這いまわる場所を増やす。
ぴちゃぴちゃと静かな水音にあわせ、葉佩のてのひらの下のものが堅さを増し始めた。
そのようすを見て取り、緋勇は小さく笑う。葉佩が皆守のものを先端からくわえたのを見下ろしながら、皆守の唇を塞ぐ。脚を支えていたてのひらは、いつしか役目を終え、反応を確認するかのように、平らな胸を這いまわっていた。
*
じゃんけんで勝った緋勇がバスルームに姿を消してから、葉佩は皆守の顔を覗きこんだ。
身体は流す気なのだろう。疲労の色こそ濃いものの、皆守は起きていた。
「痛くない?」
「おまえが言うか?」
しばし迷ってのちの言葉に、返されたのは笑いを含んだ応えだった。
うう、と。情けない声を漏らす葉佩をなだめるかのように、筋ばった手がまっすぐな髪をいじる。
確かに、タイラップを使って皆守の根元を戒めたのは緋勇だ。だがその後、戒めから解放された皆守をさらに攻めたてていかせ、内部に吐き出したのは葉佩だ。もちろん、緋勇も似たようなことをしている。がむしゃらに肌を求めた葉佩よりもさらに的確に、苦痛と悦楽を与えていたのは間違いないだろう。
しょぼくれた大型犬みたいな葉佩の様子に、皆守の笑みが深くなる。最後にひとさしゆびでこめかみをはじくと、手をおろした。
「……いいの?」
これで、と。葉佩は、穏やかな皆守の様子をみながら口にした。
何がだ? と。問い返されて、首をひねる。感覚的には正しい問いだったが、形式化されきっていない思いだった。
「いや、その。こんな、三人でというか、ええと、さっきみたいなのとか……」
おまえが言うか、と。再度言って、皆守は笑いだす。明るい笑い声が、広大な部屋にはじけた。
「……俺は。その。……こーちゃんがイヤなら、その。ヤだけど。でも。逆に。その……」
笑い声がやんだ。そして、しばし葉佩の顔を眺めてから、ゆっくりと口を開く。
「ヤツは、信用できる。だからこそ、あんなところにカッターの刃をあてる遊びも楽しめる」
オマエじゃあ無理だがな、と。そう皆守はつけくわえ、葉佩はより情けない表情になった。
「だが」
逆説の接続詞の後に落ちる沈黙。ぶつぶつと何やらつぶやいていた葉佩は顔をあげた。
促され、皆守は眉を寄せる。
「信用はできる。だが、信頼はできない」
「こーちゃん?」
不思議そうな葉佩の声に、皆守の眉間のしわがより深くなった。
「いや、ちがうな。なんて言うんだこの場合。呉越同舟。そうでなく……」
不意に、皆守の表情が消えた。あいたよ、と。快活な声がかけられたためだった。
皆守の口元が歪んだ。甘い香りから逃れた屋上で。クリスマスの夜、《墓》で。学園にいたころに幾度か浮かべていた表情だった。
緋勇が帰ってくるのは、とても早かった。葉佩が最初に試みたカラスの行水に勝るとも劣らない早さだ。
葉佩は、自らが言われたことをそのまま返そうとして、緋勇に向き直った。軽く身体を流しただけであっても、髪や何かはびしょびしょにちがいない。
緋勇は、柔らかく笑いながら二人を同時に抱きこもうとした。だが、一瞬早く皆守が立ち上がる。
ふわりと柔らかな石鹸の香りがした。葉佩の頬をくすぐった髪は、いますぐ整髪料をまぶして出かけられそうな程度には乾いている。
髪くらい、と。言葉は口を出る前に止まった。わかっていたのだろう。緋勇の口元の笑みに、人の悪さがブレンドされる。笑いながら、葉佩を抱く力を強くした。
「気色悪いことするな」
「幾度も夜を過ごしたのに冷たいのね九ちゃん」
「その九ちゃんてのもやめろ。……こーちゃん!」
ベッドを降り、全裸のままバスルームへと向かおうとしていた皆守は足を止めた。
「い、一緒に入らない?」
緋勇の腕を振り払おうとしつつ、情けない笑みを浮かべる葉佩に返されたのは、拒否の応えだった。
「風呂は一人の方がゆっくりできていいと思わないか? 葉佩」
じゃあなと立ち去る後ろ姿に、こーちゃんは愛称でいいんだー、と、情けない声が絡む。
「残念だったねぇ」
可哀想にと、緋勇は少し下の位置にある頬に唇で触れた。瞬間、今までの抵抗どころではない勢いで、葉佩が緋勇の腕を抜け出す。
全身の毛を逆立て、ふかーっと威嚇の声をあげる葉佩を、緋勇は動物にするみたいな様子でさしまねいた。
fin.
「NightFall」(C72配布)より
SIESTA発行「神々自身」は、この話を発展させたものです。