最近、常春というのは、なんてつまらないんだろうと思うようになった。皮膚を切り裂くような寒さもなく、うだるような暑さもない。快適と言えば快適だが、どこへ行ってもどれだけ時がたっても同じでは、ありがたみなどどこにもない。
エアコンの動作音すら聞こえてきそうだ。この世界の中心となるものの名を頂いた塔は、そんな場所だった。
日光とも月光とも、もちろん、蛍光灯や白熱灯とも違う。そんな光に全体を照らされ、白子(アルビノ)みたいな白い魚が、鱗をきらめかせることなく、中空を泳いでいた。
白子(アルビノ)ならば血管が透けて赤っぽく見えるはずだ。だが、ぎろりとこちらを睥睨する(にらむ)目は、まっしろだった。まつげどころか、眼球内の血管までわかる精巧な作りに、思わず笑いがこみあげてくる。
見られていたらしい。
汝の隣人を愛せ! 困っている人には手を差し伸べよう! 愛は地球を救う!
巨大な人の顔が、かっと口を開いた。巨大ではあるものの精巧な(よくできた)少年の顔は、みるみるうちに異形へと変貌する。
口中までも白い。歯だけでなく、舌も喉も、石膏像みたいに白い。パラパラと、削りくずが落ちてきそうな白さなのに、やわらかく動く。とてもスリリングな光景だった。
ヒステリックなわめき声が満ちる。空間が揺れる。身体が焼ける。
急降下してくる巨体。言葉といっしょに蒼い刻印を切り裂かれ、深紅(まっか)な血が噴出(ふきだ)した。
心理テスト(ロールシャッハ)の絵が見られるかと思いきや、魚体に痕跡は残らない。流れ落ちもせず、はじかれることのなく、痕跡一つ残さずに、ただ消える生命の痕跡(けつえき)。
唐突に脳天気なメロディとフレーズが浮かぶ。酵素パワーで驚きの白さに!
BGMまで流れ出す思いつきに、今度こそ声をあげて笑った。
女神を名乗るものが手をふり、柔らかで暖かな光に包まれた。
金の光を通し、ソフトフォーカスがかかったみたいに見える標的。悠然と、鱗きらめかすことなく宙を泳ぐ人魚(ひとざかな)。
白い巨体の向うに、鋼鉄の天使。
切り裂かれ、苦悶の声をあげる魚。もはや、姿を保つも難いのか。滑らかな曲線がいびつに姿を変え、砕かれた石膏像のような断面をさらす。
柔らかな女神の繊手が舞う。
獣の牙がきらめく。
蒼の刻印が、光る。
不意に、崩れた。
ぼとぼとと、落ちてくる白い残骸。
カッテージチーズみたいなそれを浴びる。
愛が地球を救わなくても良かったのだけど。
人が困っているのを必ず助けなければいけないなんてのじゃあなくたって良かった。
隣人の顔を知らないのもありかもしれない。
だって、そもそも、今のおれの隣人は、感情や思考があるかどうかすら定かならぬ悪魔たちだ。何もかわりはしない。
触れることの出来ない永遠というデメリットを知ってなお、おまえの望みが叶うことを選択したつもりだったのに。
遅すぎたのか。それとも、どうだっていいとニヒルに笑う向こうにきらめく、安っぽい青春ドラマのハッピーエンドを見透かされてしまったのか。
それ以前の問題だ。世界をいっしょに作るなんて行為は、そもそも彼が作りたい世界のありさまとは相容れないんじゃあないか?
ひどいな。選択の余地なんてないんじゃないか。どうやったって、望みをかなえることのできる存在はない。
途切れることなく落ちてくる勇の残骸を全身にうけながら、ただ嘲(わら)った。
fin.