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野生の呼び声を聞くには遠すぎる場所

 堕落したものだ。
 日曜午後の部屋の惨状を眺めるともなしに眺め、おれはそう考えた。
 狼というものは、元来寒さに強い動物だ。天性のマラソンランナーとでも言うべきしなやかな筋肉と、分厚い毛皮で覆われた身体は、どこまでも凍土をいくための進化を遂げた結果だ。白銀に覆われた広大な縄張りを、自由自在に駆けまわる同輩が今のおれの姿を見たならば、どんな感想を持つだろうか。
 昭和時代に立てられた高田馬場のアパート――要するに、今現在のおれの部屋の半分ほどは、人類が生み出した中でもとっときの堕落への使者が占拠していた。
 ちゃぶだいよりは少し高さのあるテーブル。それを覆う、もっさりとした布団。顧みられることがないにもかかわらず、アナウンサーの笑顔を一生懸命映し出しているテレビ。おまけに、おれの正面には、一生懸命という表情でミカンの白いすじをとっている子犬――見かけのみ、がいる。
 ここにはいない同胞(はらから)が、子供を甘やかしすぎだと苦言を弄するすがたが目に浮かぶかのようだ。
 おれの視線に気づいたらしい。見かけのみ子犬、中身狂戦士(バーサーカー)の緋勇龍麻は、少し首を傾げてから、すじを取り終わったミカンのふさを差し出してきた。
 いやべつに、おれはミカンが食いたかったわけじゃあないんだが。とはいえ、コレが食べ物を差し出してくるというのは、その場で台風がやってきてもおかしくはない珍事だ。
 おれは、差し出されたミカンに手を出し、礼を言う。うけとったものをおれが口にするのを確認してから、ヤツは元の作業に戻った。
 丁寧にすじをとったミカンは、いささか乾燥していて、味としてはいまいちだった。
 テレビ番組が、日々のニュースから週間天気予報へと変化し(かわっ)ている。今晩から気温はぐんと冷え込み、明朝から雪が降り始めるそうだ。
 おれは、窓の外を見た。立春の前とはとても思えないような、穏やかな天気だ。コタツが心地いい程度には寒いが、凍結を気にするほどのそれではない。風の当たらない日向であれば、ひなたぼっこを楽しむこともできるだろう。
 そうか。やはり天変地異の前触れだったのか。
 そんなくだらないことを考えながら、おれは手近にある座布団を枕代わりにして寝転んだ。
 堕落したものだ。
 狼は夜行性だからとか、無意味な言い訳を心に並べ立てながら、おれは目を閉じた。

fin.

「諸悪の根源もしくは天国に一番近い場所」(2008年HARUコミ)収録