{{category novel,九龍妖魔学園紀,nolink}} !!行雲流水  先客がいることは、半ば予測していた。  その「先客」に会いに来たのではないか、と。そう、潜在意識に問いかければ、もしかすると諾との答えが返ってくるかもしれない。その程度の予定調和だった。  昼休み、屋上のひどく重い扉をあけると、鮮やかな冬空が目に飛び込んできた。  淡い水色にいく筋かの白い軌跡をはいた、この季節の典型的な空の姿。強い風が、思いのほか激しく、雲の形を変えている。  色彩だけならば心地良く見えるにもかかわらず、外に長居をするには厳しい日だった。  先客は、屋上のフェンスに身体を預け、金属製のパイプをくわえていた。  いつもの姿だった。  屋上に人が現れたことに気づいていないはずもあるまい。それどころか、現れたのが《生徒会長》であることにも、気づいているだろう。  だが、彼は振り返る様子も見せず、ただ、遠く流れていく雲の軌跡を眺めていた。  しばらくその後姿を眺めた後、阿門帝等は扉を閉めた。あまりに大きく無粋な扉の音に、微かに表情(かお)を歪める。  そのまま、先客――皆守甲太郎の横に並んだ。  皆守は、ちらりと傍らに並んだ相手に視線を投げた。  微かに、アロマパイプが上下する。唇の形が、ほんの少し、笑みに歪んだためだった。  それが挨拶だったのだろうか。すぐに視線はもとに戻った。  皆守が咥えているパイプからは、微かな煙すらあがっていなかった。どうやら、火がついていないらしい。  沈黙が、降りる。  阿門は何も言わなかった。皆守の方も、それを気にする風もなく、ただぼんやりとフェンスにもたれている。  クリスマスに降った雪は、次の日の朝にはやんだ。年が明けてから、一度だけ雪が降り、それもあっという間にとけた。  破壊は局所的だった。校舎にまで及んだのではないかと思われた被害は、次の朝調べてみれば、ほんのいくつかの墓石が壊れただけだった。とても大きく、衝撃的だったはずの出来事は、物質的な面に限れば、あっというまに痕を隠しつつある。  《墓》に残る「立ち入り禁止」のロープだけが、聖夜の痕跡だった。 「――珍しいな」  咥えていたパイプを手に取り、皆守が言った。 「夷澤がうるさい」  阿門は、微かに眉を寄せて言った。その様子にか答えにか、皆守は声もなく笑う。  《墓守》として《生徒会》に関わった期間の長さか、それとも性格か。もしくは、三年生の役員に対し、二年生――つまり、卒業まであと一年あるという立場ゆえか。おそらくは、全てが正解と言えるだろう。生徒会役員の中で、あの夜の衝撃から真っ先に立ち直ったのは、副会長補佐役こと夷澤凍也だった。  《転校生》が《墓》をあばくにつれ、《生徒会》関係者は数多の衝撃を受けた。その分だけでも十分すぎるほどのものであったにもかかわらず、最後に彼は《墓守》の終焉という、今までを足し合わせてなお余りあるほどのものを与えた。  辛うじて生徒たちを校内から追い払うまでが限界だった。虚脱状態となった阿門の症状が最もわかりやすい。無口無表情は相変わらずだが、威厳を示すそれは、心ここにあらずというだけのものに成り下がる。本来ならば、そんな彼を真っ先に心配するであろう双樹と神鳳も、似たようなものだった。彼ら自身も《墓守》の資格こそ先に失っていたとはいえ、学園を出ることなど実感できていなかったのだろう。阿門の様子を気にしつつも、彼ら自身「卒業」と「進路」の文字を提示され、戸惑っていた節があった。  そんな彼らをおいて真っ先に立ち直った夷澤が始めたことと言えば――呆けている現職役員の尻をひっぱたき、《生徒会》の活動ではなく、「生徒会活動」をさせることだった。  彼は毎日のように、学内を駆け回っている。そして、自ら率先して生徒会活動を行う傍ら、役員たちを見つけては、うるさく仕事をせっついていた。 「連れてこないでくれよ、頼むから」 「――おまえだけが無事でいられると思うな」  笑いを含んだ皆守の声に、阿門は憮然とした答えを返す。  主に、被害者は会長だった。いや、被害者というべきではない。この学園における生徒会の大きな権力の結果として、行事や決済のために、生徒会長の印がそこかしこで求められるのだ。どちらかというと、本来の仕事が戻ってきただけというが相応しい。  だが、耳をそろえて持ってこられる書類に目を通すだけでも、結構な分量がある。単に几帳面なのか、それとも来年を見越しているのか。怪しいものから複雑なものまで、印が必要不必要に関わらず、夷澤が確認を求めてくるものが、その倍量はあった。 「俺に何ができるって」  対し、全く被害を受けていないのが副会長だ。  夷澤の索敵能力に引っかからないほどの隠形の術を心得ているためか。それとも、彼が役員として活動していた時期を知らないためか。何よりの理由は、会長とは違い、副会長を名指しでくる仕事がないためだろう。  日に一度は、校舎のどこかで、副会長補佐にかみつかれている役員の姿というのを拝める今日この頃。対象が副会長であることはついぞない。 「神鳳が倒れた。インフルエンザだそうだ」 「神鳳のなわばりは侵せないなぁ」  阿門の託宣に、皆守はわざとらしいまでに笑いを含んだ声を返す。  微かに、阿門は眉を寄せた。 「では、副会長補佐のフォローをしてやれ」 「逆だろ」 「後進を育てるのも役員の仕事だ」 「来期はアレが会長じゃないのか?」  言外に、会長候補を育てるのは会長だろうと言っているらしい。彼が持っているアロマパイプの先は、漠然とした動きながら、阿門の方を指している。 「それは、決めてない。――どうも、夷澤にも考えていることがあるようだ」 「へぇ」  面白そうに、皆守は目を細めた。 「あの夷澤(バカ)がね」  皆守は、慣れた手つきでアロマパイプに新しい中身をつめた。 「来期、か」  未だ火をつけず、彼はパイプを弄んでいた。 「――ああ」  高い空だった。阿門が屋上に上がってきた頃と同じ形をした雲は、もはやどこにもない。 「――」  何か言いかけ、皆守は口を閉じた。そして、黙ったまま、ポケットから安っぽいプラスティックのライターを取り出すと、アロマに火をつける。  聞きなれた発火音よりも、ずいぶんと軽い音だった。  そして、立ち上る甘い香もまた――違った。  匂いに対する記憶に自信があるつもりはなかった。だが、皆守と対になるものとして、ラベンダーの香りには馴染んでいる。メーカーが違えば、精油の香も多少は違うだろう。だが、馴染みのある鎮静と安眠の香にくらべ、これは爽やかさが勝りすぎているように思えた。  彼はアロマを吸うことを好んでいたのではなく、ラベンダーの香を求めていたのではなかったか?  怪訝そうな阿門の様子に気づいたか、皆守は口元を歪め、金属のパイプを振ってみせた。 「葉佩が」  《宝捜し屋》(トレジャーハンター)の名に、ほんの一瞬、阿門の身体が緊張する。 「葉佩が、間違えやがった。医者へ行くって話で外出届が出てたろ、この前。アロマが切れそうだっつったら、ついでに買ってきてやるとか言うから、メモに店の名前にメーカーの名前、大体の値段まで書いたんだけどな。空き箱までつけてやったのに、このザマだ」  もう一度、《宝捜し屋》(トレジャーハンター)の名をくりかえし、ゆっくりと皆守は言った。彼が目を細める先、微かに白い煙が揺れている。 「通販が届くのは来週だとさ」  苦笑し、アロマの香を深く吸い込む。細められた目と微かに上がった口の端。笑みのように見えて、どことなく辛そうにも見える。ほんの少し、頭の位置が下がった。 「ベルガモットとラベンダーじゃ、効能が全然違うんだがな」  だが、どこか斜に構えたような口調は同じだった。 「それでも吸う方もどうかと思うが」 「ないよりマシだと思ってんだろ」  他人事のように言って、皆守は笑い声をあげた。 「来期、ね」  皆守はもう一度繰り返した。そして、笑みを蓄えたままの表情で、阿門を見る。  ごく当たり前の言葉だ。さしてドラマティックな要素があるわけではない。だが、その言葉は、まるで小動物のように心につめをたてた。強すぎず、かといって無視できるほど些細ではない。微かというには強く、強いというには淡く、確固たる形や理由を浮かばせず、心が波立った。  阿門は、いつものように無表情で面(おもて)を覆い、相手を見返した。  皆守の笑みが深くなった。 「何が可笑しい」 「いや」  笑いを収め、皆守は遠景へと視線を戻した。 「――情けねぇなぁ――」  ためいきのようだった。  この寒さでは、いくら晴れているとはいえ、外でランチを取ろうなどといった酔狂な人間はいないように見えた。それどころか、マミーズまでの道のりを震えながら歩くことすら嫌った人間が多かったらしく、外を歩く生徒の数は、いつもに比べ少なかった。  黙って自らの横顔を眺める阿門に、皆守は言った。 「ラベンダーもベルガモットも、代表的な効能は、不安や緊張の緩和。ただし、ラベンダーが鎮静の作用を持つのに対し、ベルガモットの方は精神を高揚させる。――吸うか?」  棒読みの解説とともに差し出されたパイプと、友の笑みが目の前で揺れる。  しばらくの逡巡(まよい)のあと、阿門は差し出されたパイプに唇を寄せた。  はたで匂いを感じていた時より、はるかに複雑な香が感覚を刺激する。どこかでかいだことのあるような優しい甘さに混じる、微かな酸味。包み込むような滑らかな優しさは、ほんの少しの時をおき、身体に馴染んだ。  正直なところ、効能通りの効果があるかどうかはわからなかった。  ただ、甘いと思った。  何かを共有した幻想(おもい)のようなものだけが残った。 「――」  阿門に差し出したパイプを引くと、いつものように皆守は咥えた。  パイプの先が、緩やかに弧を描き、少しだけ白い煙がそれを追う。  淡い水色を背景に、飛行機雲があっというまに形を崩した。その動きに、一段と風が強くなったことを感じる。 「戻る」  短く言った阿門の言葉に、皆守は頷いた。 「おまえはどうするんだ?」  阿門の問いを、含みのあるものだと思ったのかどうか。皆守は茶化すような口調で即答した。 「昼寝でもしようか、とね」  晴れていることは確かだ。顔に当たる日の光は、微かな温かさを伝えてくる。だが、それだけだ。  昼休みが終わろうとしていることについては、今更だった。 「――おまえな」  皆守はいつもの学生服姿だった。今日のような日には、外を歩くにしても寒いのではないかと、そう思わせる服装だ。手袋をしているわけでもなく、コートを用意している様子もない。ましてや、屋上を見回しても寝袋が用意されているといったこともなかった。 「いい天気だぜ?」  皆守は目を細めた。もつれた髪が風に揺れる。  本気のようだった。  空気は乾いていた。雨になることはないだろう。だが、どう考えても外で昼寝するような気候ではない。気温は零度とは言わないものの、明らかに一桁であり、風も強い。凍死することはないかもしれないが、風邪をひくには十分すぎるほどだった。  阿門は眉を寄せた。 「後で返しに来い。十九時前ならば、大体は生徒会室にいる」  手荒な動作で、コートを脱ぐ。そして、傍らに立つ相手の背にかけた。  応えを待たずに、阿門は屋上の扉に向かった。  コートが屋上の床に落ちる音がする。  頓着せず、扉に手をかける。  風の強さと、もともとの重さで、扉はひどく開けづらかった。一度では十分なだけの動きを得られず、もう一度力を込めて引く。 「阿門」  名を呼ばれ、動きを止めた。らしくもなく、感情をむきだしにしているように思えた。  続かなかった。  かわりに聞こえたのは、微かな衣擦れの音だった。おそらくは、落ちたコートを拾い上げたのだろう。  いくらか間をおいて、阿門は問うた。 「――何だ」 「いや。……分かった」  間抜けなほどに時をおいた応えに、笑い声を漏らす。了解の印に片手を挙げ、扉を潜る。  大きな音をたてて閉まる扉の向こで、困ったように頭をかくすがたが見えるような気がした。 fin.